ナショナル ジオグラフィック日本版 年間購読申込





$B%J%7%g%J%k(B $B%8%*%0%i%U%#%C%/F|K\HG(B

LINE
「ユダの福音書」マイヤー博士 来日特集
line


マイヤー教授
来日特集

新解説 ユダの福音書

マービン・マイヤー氏×中沢新一氏対談

マイヤー教授講演
ダイジェスト版を公開


マイヤー教授来日
講演速報


マイヤー教授講演
『ユダの福音書』を語る



インタビュー
「ユダの福音書」共著者マービン・マイヤー氏


関連商品

 ・ 
DVDブック
「ビジュアル保存版
ユダの福音書」

 ・ 
DVD
「ユダの福音書」


 ・ 
書籍
「原典 ユダの福音書」


 ・ 
書籍
「ユダの福音書を追え」


 ・ 
ナショナル ジオグラフィック日本版2006年5月号
独占特集「ユダの福音書を追う」



ナショナル ジオグラフィック協会発表資料


●中沢新一氏・マービン・マイヤー教授対談録
『ユダの福音書』には、日本人に身近なところがあります



 キリスト教の文書である『ユダの福音書』は日本人にはなじみがないと思われがちだが、実は身近な内容が含まれている。――哲学者で多摩美術大学芸術人類学研究所長の中沢新一さんはそんな解説をしてくれました。

 今年7月、『ユダの福音書』の翻訳者の一人である米国チャップマン大学のマービン・マイヤー教授が来日した際に、中沢さんと対談を行いました。
 今回、インターネット限定で、その内容を一挙掲載します。
 また、「ナショナル ジオグラフィック」日本版9月号には、別冊「新解説 ユダの福音書」を同梱し、マイヤー教授の来日講演録「ユダの“復活”」および、中沢さんが本誌のために寄稿した「知的な思想作家が描いたユダの裏切り」を掲載しています。こちらも併せてご覧下さい。
本誌9月号についてはこちらをご覧下さい。



マービン・マイヤー
米国チャップマン大学(カリフォルニア州)聖書・キリスト教学科教授、チャップマン大学アルバート・シュヴァイツァー研究所所長。グノーシス主義およびナグ・ハマディ文書、新約聖書外典の権威。
主な著書に「原典 ユダの福音書」(2006年・共著)、「The Gnostic Discoveries」(2005年)、「The Gospel Of Thomas」(1992年)など。

中沢新一
思想家・哲学者。多摩美術大学・芸術人類学研究所長。インド・ネパールに渡り、チベット仏教ニンマ派のラマ僧たちのもとでゾクチェンの修行を積む。1984年の「チベットのモーツァルト」で、ニューアカデミズムを代表する一人となる。
著書に「森のバロック」(1992年)、「精霊の王」(2003年)、「アースダイバー」(2005年)など多数。



[中沢] 今日は『ユダの福音書』の翻訳者の一人であるマービン・マイヤーさんにお会いできることを大変楽しみにしていました。

 キリスト教のなかでも、グノーシス派のテキストが一般的な関心を集めるということはめったにないことですし、これほど多くの日本人がグノーシス派のテキストを読むというのは初めてのケースだと思います。しかし、グノーシス派の考え方というのは、日本人にはある意味でいうと非常に遠い側面と非常に近い側面と二つあるんです。

 日本はアジアの国の中でもキリスト教の布教が成功しなかった数少ない国です。その理由の一つは、日本人にとってキリスト教の「信仰」を理解することがとても難しかったからです。宗教には「信仰」と「悟り」という二つの側面がありますが、日本人にとって「悟り」というのは非常によく理解できるのです。グノーシス派のテキストが日本人にとってある意味では親しみやすいというのは、そこに表現されている考え方が、キリスト教の「信仰」というのとは別形態の、「悟り」として理解しているものと非常に近かったからだと思います。


[マイヤー] キリスト教の布教が日本で成功しなかった歴史的事実の指摘は、大変興味深いです。以前、日本に住んでいたときに作家の遠藤周作氏の書籍を読んだことを思い出しました。彼は自分のことをキリスト教徒だと考えていましたが、独自の信仰や日本人であることと折り合いをつけるのに非常に苦労していたようですね。彼の著作はキリスト教というよりもむしろ、仏教のもののように感じました。日本では、キリスト教の「信仰」というものが理解されなかったのですね。

 おっしゃるとおり、グノーシス派のテキストは「信仰」に関するものではありません。基本的にグノーシス派のテキストでは、よい人生を送るために必要なのは「信仰」ではなく、「認識」や「洞察」、「覚醒」で、自分自身の内側に神聖なものがあると気づくことだとされています。キリスト教正統派のいう「信仰」とは、まったく異なる考え方です。


[中沢] 日本人は仏教のテキストには慣れ親しんでいます。仏教のテキストというのは宗教の「信仰」を求めているわけではなくて、「認識」と「悟り」を求めています。その意味で言うと、日本人が『ユダの福音書』を読んでびっくりするのは、キリスト教のテキストでありながら、「信仰」よりも「認識」のほうを重視している考え方が存在したというのを初めて知ったからだと思います。


[マイヤー] 台頭する初期キリスト教会で勝者となった人々の大半は「信仰」を重視していたので、「信仰」が強調されたのです。神も “神の子”イエスも自分の外側にいて、信仰をもつ人だけが近づくことができるとされていました。

しかし、『ユダの福音書』やその他のグノーシス派のテキストを読んでいたグノーシス主義者は、まったく違うアプローチを取りました。彼らのアプローチは哲学的で、「知識」や「洞察」に関心があったのです。「洞察」という言葉はグノーシス派のテキストでよく使われるキーワードです。一口に「知識」といっても色々ありますが、雑誌や小説を読んで得られるといった類の知識ではありません。人間の内部には神聖なる輝きが存在すると知ることで、それには「洞察」が必要になるのです。ヒンドゥー教や仏教にも同様の考え方があります。



トップへ戻る


東西の思想の交流があった

[中沢] このグノーシス派のテキストが書かれた時代は、紀元前後から3世紀くらいまでの期間だろうと思います。その間に今まで考えられていた以上に、西洋の思想と東洋の思想の交流があったように私は感じるんですが、マイヤーさんはどうお考えですか。


[マイヤー] 大変面白い指摘です。学者も含めて私たちは、東西の文明の間に壁を作って、まったく異なるものとして考えがちです。しかし、地中海を取り巻く文化園についてはもっとシンプルに考えたほうがよさそうです。歴史的に考えても、エジプトのアレクサンドリアが覇権を握っていた時代は人々は西へ東へと絶えず行き来していたはずです。地中海世界で東と西の思想が交流していたと考えるのは、合理的かつ論理的です。


[中沢] 私自身はチベット仏教を勉強しました。そこで学んだことはグノーシス派のテキストに書かれていることと非常によく似ているんです。多くの共通点が見られるんですが、それは「インナーマインド」というものに焦点を当てています。神性というものはマイヤーさんも先ほどおっしゃったように、人間の外にあるものでなく、マインドの内にあるものとして考えていく。グノーシス派のテキストの中では、「父・母・子」の三位一体が重要な構造を作っています。同じ構造が東洋思想の中にも見出されて、それはカトリックの「父・子・聖霊」とは違う構造をしているのがわかります。その意味でも、東洋思想と西洋思想は、非常にダイナミックに交流が行われていたと感じますが、これまでのグノーシス研究では、そういうことがあまり十分探求されてこなかったように思います。


[マイヤー] 1960年代、ヒンドゥー教や仏教、グノーシス主義などの影響を受けて、教養主義が国際的に広がったことがありました。初期キリスト教時代にも同じようなことがあったと思います。論理学者、チベット仏教や他の仏教を学んでいた人々、地中海世界のグノーシス主義者は、異なる文化的背景をもった人々でした。互いに行き来して、意見の交換をしていたこともあったはずです。

 しかし、たとえそうでなくても、我々人間は同じような環境に置かれると、同じような考え方に行き着くのではないかと思います。ですから、いろいろな考え方を同じ土俵に上げて、相違点を挙げたり、相互に影響していたか検討したりすることは有用だと思います。




対談の続きはこちら>>



トップへ戻る








本サイトに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。
すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
(c)National Geographic Society. All rights reserved.
(c)Nikkei National Geographic Inc. All rights reserved.

サイトマップ 著作権/リンク許可
広告出稿のご案内 会社案内
「特定商取引に関する法律」に基づく表示
個人情報保護方針 ネットにおける情報収集
個人情報の共同利用について