ハリケーンの最新科学 AUGUST 2006 増大する自然災害 |
![]() 文=トマス・ヘイデン ハリケーン、台風、サイクロン。発生地域で名称は違うが、どれも大きな被害を及ぼす熱帯低気圧だ。現在の科学で、その進路や強さはどれほど性格に予測できるのか。(この記事は2006年8月号に掲載されたものです。) 2005年10月24日、大西洋で発生した観測史上最強のハリケーン「ウィルマ」が米国フロリダ州南部に上陸した時、ドン・Eはマイアミ沖の小さな島バージニアキーに渡ってビールと釣り餌を売る小さな店で働いている最中だった。「私たちが本土から島に着いた時には、もう逃げるに逃げられず、ここで踏ん張るしかなかった」と、ドンは苦笑いする。 2005年はハリケーンの記録が次々に塗り替えられた年だ。ウィルマのほかにも、8月末に発生したハリケーン「カトリーナ」は1000人余りの死者を出し、ルイジアナ州ニューオーリンズと周辺の海岸を広範囲にわたって破壊し尽くした。経済損失は1000億ドルを超え、被害額では米国史上最大の自然災害となった。9月に発生した「リタ」もウィルマに匹敵する強いハリケーンで、ルイジアナ州西部からテキサス州東部までメキシコ湾岸地域に大きな被害をもたらした。 ウィルマが通過した数日後、ドンの店に来た客の中に早くも来年、再来年のハリケーン被害を心配する人がいた。米マイアミ大学のハリケーン研究者、シャラン・マジュムダールだ。彼は日々、ハリケーンの挙動を探り、勢力や進路を予測する研究に力を注いでいる。 ハリケーンはこうして生まれる
あらゆる気象現象は、熱をエネルギーにして生まれる。ハリケーンや台風もそうだ。太陽光がふんだんに照りつける熱帯の海で暖められた空気は、上昇気流となって上空へ立ち昇る。そこへ周りから空気が流れ込み、地球の自転によって空気が渦を巻く。こうして渦巻く積乱雲の集まりが形成される。 こうした巨大なハリケーンが発生するには、海面の水温が27℃以上で、湿気があること、海面と上空で風速が異なるため積乱雲を引きちぎってしまう「風の鉛直シア」という現象があまりないことが条件となる。しかし、この3条件がそろっても、積乱雲の集まりがそれほど発達せず、ただの熱帯低気圧で終わることもある。 ハリケーンの観測精度は、気象衛星の登場で大きく進歩した。可視光による衛星画像では積乱雲の表面しか見えないが、赤外線センサーを使えば、温度の高いハリケーンの眼の大きさと形がわかる。さらにレーダーやマイクロ波センサーで降雨帯の分布も調べられる。 2005年には、熱帯暴風(ハリケーンより弱い熱帯低気圧)に無人の気象観測航空機「エアロゾンデ」を飛ばして観測を行った。エアロゾンデは10時間飛行し、高度400メートルまで降下して風速や風向を調べ、海面から雲の中へと上昇する熱と水蒸気の流れを観測した。 さらに予測困難なのは、ハリケーンの強さだ。3日後の予報で比べると、90年代初めには最大風速で平均10メートルの誤差があり、現在もわずかに改善されただけだ。 ハリケーンの強さは、通過する海の状態によっても変わる。暴風で波が立ち、海水がかき混ぜられると、海の下層の冷たい水が海面に上がってきて、ハリケーンの勢いを弱めるブレーキの働きをするのだ。だが、熱帯の海は水深数十メートルまで温かいことも多く、そんな時は海水がかき混ぜられても、ハリケーンに熱エネルギーが供給され続ける。 一方、波は暴風の勢いをそぐ働きをする。ハリケーンの強風を受けた波は高さ30メートルを超えることもあり、生まれた波が風にブレーキをかける。「海からの熱はエネルギーを供給しますが、波は風を弱めます」と、マイアミ大学の陳書毅は説明する。陳は、大気と波、海の相互作用を詳しくシミュレーションできる強力な新しい数値モデル「HWRFモデル」を共同で開発している。「波の影響を正しく考慮しないと、強さの予報でカテゴリーを1段階も2段階も間違えかねません」 その後、カトリーナは急速に勢力を弱めた。ハリケーンの眼を取り巻く壁雲の南側の部分が崩れ、中心からより遠い所に新しい壁雲ができたのだ。フィギュアスケートでスピンする時、手を伸ばすと回転速度が落ちるように、外側にできた眼の壁雲はブレーキの役目を果たす。 ハリケーンは、上陸すれば次第に消滅する運命にある。水蒸気の供給が断たれるため、どんどん勢力が衰えるのだ。だが、末路とはいえハリケーンに巻き込まれた人たちにとっては、たいした気休めにはならない。 こうした破壊をもたらした主な要因は水だ。ハリケーン被害のほとんどは、風ではなく豪雨や高潮によるものだ。ハリケーンの風で海水が陸の方へと吹き寄せられて、海面が盛り上がる現象が高潮で、カトリーナでは8メートル、あるいはそれ以上、海面が上昇した。 ミシシッピ州の隣にあるルイジアナ州の海岸線を空から眺めると、沿岸部の開発によって、島や湿地の防潮機能が低下したことがよくわかる。湿地帯には船が航行できるように浚渫した水路が縦横に延びている。この水路を通って、より内陸の湿地まで海水が流れ込み、湿地の保全に一役買っていた植物が枯れた。さらに、ミシシッピ川沿いに堤防や土手が多く築かれたため、川が運ぶ土砂が湿地に堆積しなくなり、浸食が進んだ。その結果、ルイジアナ州沿岸の湿地は、1950年から2000年までに毎年70平方キロのペースで水没し、20%以上が海になってしまった。 ハリケーンの本当の猛威は、カテゴリー分類や風速では推し量れないし、家屋や生態系に与えた打撃、さらには死者の数ですら量れない。ハリケーンを生き延びるというのは、被災前と後とで何かが決定的に変わってしまうような体験なのだ。ニューオーリンズの住民タミー・バンダザイルは、カトリーナの上陸時にアパートに残って洪水をやり過ごした。それから3週間、彼女はほとんど見ず知らずの人たちと極限的な生活に耐えた。「すぐ下の駐車場にまで波が打ち寄せていたんです。信じられないような光景でした」と、彼女は当時を振り返る。 温暖化とハリケーンの関係 科学的には確実ではないが、将来、「今よりはるかにひどい」被害が起きる可能性はある。米マサチューセッツ工科大学の気象学者ケリー・エマニュエルは慎重な性格で、地球温暖化でハリケーンが強まるという説は確かな根拠を欠くと、長年考えてきた。ところが昨年、解析した結果を見て、再考せざるを得なくなった。世界中で発生した熱帯低気圧の全エネルギーを調べたところ、過去30年間でその破壊力はほぼ2倍に高まったことがわかったのだ。 今や、人間の営みによって地球温暖化が進んでいることを疑う気象学者は少ない。一方で地球温暖化の結果として、ハリケーンが威力を増しているという主張については賛否両論がある。ハリケーン予報の草分けである米コロラド州立大学の研究者ウィリアム・グレイは、この主張を「明らかな間違い」と言い切る。グレイと米国ハリケーンセンターのクリストファー・ランドシーによると、過去のハリケーンに関するデータは当てにならず、エマニュエルとウェブスターの分析も確実ではないという。70年代に気象衛星を使った観測が進むまで、上陸しなかった熱帯低気圧は記録されないことが多かった。その後も観測技術は刻々と進歩しているため、ハリケーンの強さを単純には比較できない。 過去の記録をより信頼できるものにするため、ランドシーは高潮や風害の記録を19世紀半ばまでさかのぼり、ハリケーンの強さを推測している。海に近い湖や、海岸の森林の古木を調査し、過去のハリケーンの痕跡を探す研究も進んでいる。湖にはハリケーンに運ばれた浜辺の砂が堆積し、古木の年輪には通常の雨より軽いハリケーンの雨粒の跡が残っている。 |