水中写真の第一人者、中村征夫さん。このたび沖縄の伝統漁法、アギヤー漁とそれに携わるウミンチュたちの暮らしをモノクロ写真で描いた新刊『遙かなるグルクン』を上梓した。およそ30年の歳月をかけて追い続けた力作の秘話を聞く。(目次ページはこちら)
(聞き手:芳尾太郎 構成:高橋盛男 写真:中村征夫、田中良知)
――中村さんが写真撮影で、信条としているのはどういうことですか。
自分に恥ずかしくない写真を撮りたいというのが第一ですね。
僕は職人でありたいと、ずっと思ってきたんですよ。ですから、つくるものに手を抜いてはいけない。写真集を買ったり、写真展に来てくれるなど、僕を応援してくださる方々を裏切るようなことがあってはならないと、いつも自分に言い聞かせています。
沖縄の海を群れ泳ぐグルクン。
(写真集『遥かなるグルクン』より)
――その水中写真職人は、どのようにして生まれてきたのですか。
僕が始めた19歳のころは、水中写真なんてほとんど知られていませんし、僕もまったく知りませんでした。
当時、僕は思うところがあって東京で就職した会社を辞め、品川区大井の小さな酒屋さんで、住み込みで働いていました。休みのたびに神奈川県の真鶴へ行っていたのですが、それは写真を撮るためではなく、素潜りで魚介類を捕るのが楽しかったからです。
そんなある日、真鶴岬の岩場で休んでいると、背中に消火器みたいな変なものを背負った人が何名か、海面に浮上してきたんですよ。首から小さな水中カメラを下げて。
いったいこの人たちは何者だろう、何をしているんだろうと思いました。「首に下げているのは何ですか」「水中でもカメラに水が入らないんですか」と、矢継ぎ早に質問したのを覚えています。
なぜだかわかりませんが、雷に打たれたような衝撃を受けましたね。ものすごく興奮している自分に気づいて「あっ、俺はこれを仕事としてやりたいんじゃないか」と思ったんです。それが水中写真を始めたきっかけです。
――カメラの心得はあったのですか。
いいえ。カメラとの出会いも、そのときが最初です。
――では、写真の勉強は?
独学です。でも、撮っても撮っても何も写っていないという日が長く続きました。モノクロのフィルムでしたが、現像に出すと「ネガが真っ白。何も写っていませんよ」と毎回言われてフィルムを返されるんですよ。
――どういうことですか?
シュノーケリングで撮っていたのですが、それも不慣れですから、潜ってもせいぜい2メートルくらいでした。
ある日「今日はぜったいに3メートル潜ってやる」と意気込んで、海底の岩にしがみつき、ふと海面を見上げたんです。すると、太陽の光で白く揺れる海面を背景に、フグが1匹、スッと横切った。反射的にシャッターを切ったのですが、その日のフィルムで写っていたのはその1枚だけ。それでわかったんです、なぜそれまで何も写らなかったか。
真鶴の海は、底がごろた石で暗いんです。その海底に向かってやみくもにシャッターを押していたんですね。つまり、露出やシャッタースピードのことなど、何も気にしていなかったんですよ。
そのフグが写った1枚にたどりつくまで、1年以上かかりました。
――1年以上も?
なぜ途中であきらめなかったのかと、今になって不思議ですよ。自分には、これしかないと切羽つまっていたわけでもないですし。
ただ、いつも僕のなかには二人の自分がいるんです。そのときなら「撮れない写真なんかやめちゃえ」という僕と「やると決めたんだから、行けるところまで行こう」という自分。常に、そういう葛藤のなかで仕事をしてきたという気がします。
船着き場に整列した漁船サバニ。
(写真集『遥かなるグルクン』より)
――中村さんが『全・東京湾』『海中顔面博覧会』で木村伊兵衛写真賞を受賞したのが1988年、43歳のとき。どちらも撮影に長い時間をかけた作品ですね。
東京湾は、31歳のときにお台場に潜ったのが最初です。当時の隅田川はヘドロの川で、お台場はその河口域ですから異臭もひどい。生き物は棲めないだろうと思われていました。僕が潜ろうと思ったのも冗談半分です。
水は薬品臭くて、顔をつけた瞬間にピリピリと刺激が走る。「こりゃやばい!」と水面から顔を上げたその間際に、何か動くものが見えたんです。
「何だろう」と、思いきって再び水の中に入ると、海底のヘドロを巻き上げてレンズに飛びかかってくる生き物がいる。それも1匹や2匹じゃない。あっちからこっちから、10匹以上も立て続けに飛びかかってきたんです。
正体はイソガニでした。甲羅が2~3センチくらいの小さなカニです。翌日、現像した写真を見たら、そのカニはお腹にいっぱい卵を抱えていました。びっくり仰天でしたよ。
――新聞社に持ち込めば、ちょっとしたスクープになったでしょうね。
僕もそう思いました。でもね、そこでも、もう一人の僕が出てくるんです。
ヘドロの海のお台場にさえ、命をつないでいる生き物がいる。東京湾をぐるっと回ったら、もっとすごい写真が撮れるんじゃないか。今すぐに発表はせず、少し寝かせておこうともう一人の僕が言うんです。それで以後10年余り、東京湾を撮り続けることにしたわけです。
しかし、最初にイソガニの、あの1枚の写真がなければ、10年も続けられなかったと思います。衝撃を受けた場面や写真、偶然かもしれませんが、その衝撃を大切にしてひとつのテーマをじっくりと追い、ふくらましていこう。それが僕の流儀というか、写真家としての根底にあります。
――では、新作の写真集『遙かなるグルクン』に話題を戻し、今後の抱負などもうかがいましょう。
つづく
沖縄のウミンチュに対するぼくの思いを詰め込みました。
ぜひお手に取ってご覧ください。