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失われた楽園 クリミア

APRIL 2011

 クリミアはまるで、旧ソ連に逆戻りしたような場所だ。建築物、港に停泊するサビついたロシア軍艦、プリモルスキー公園の鉄門に刻まれたソ連国旗、そして、無愛想で頑固な人々の態度もソ連が残した遺産だ。「この美しい海があれば、もっと観光客が呼べるのに」と尋ねると、旅行会社の役員エレーナ・ニコラエブナ・バジェーノワはこう答えた。「私たちはお客様を笑顔で迎えることに慣れていないのです」

 クリミアの公用語はウクライナ語だが、市役所も含め、ロシア語が事実上の共通語になっている。セバストポリ市内の中等教育機関60校のうち、すべての授業をウクライナ語で行う学校はわずか1校だ。

 だが、歴史の気まぐれでクリミアはロシアから引き離された。ロシアが失ったものを列挙してみよう。マサンドラとインケルマン地方のワイン畑。ルビー色のシャンパン。黒海の西海岸と東海岸にある保養地、エフパトリアとフェオドシャ。陽光あふれる南海岸のヤルタとフォロス。豊かな果樹園と黄褐色の小麦畑。そして、決して凍ることのない港だ。

 ロシア本土と違い、クリミアは温暖な気候に恵まれている。ロシアの国土の65%が凍土で覆われているが、クリミアに凍土はない。女帝エカテリーナ2世の愛人だったグリゴリー・ポチョムキン将軍は、「ロシアには楽園が必要です」と、クリミア併合を求める手紙に書いている。帝国主義時代、ほぼすべての西欧列強がアジア、アフリカ、南北米大陸を分割して植民地としたが、貪欲(どんよく)な拡張主義という点ではロシアも同じだった。1783年、エカテリーナはクリミアを永久にロシア領に編入すると宣言。ロシア帝国の領土は約4万6000平方キロ広がり、国境は黒海沿岸まで延びた。海軍大国への道を開き、ロシアは楽園を手に入れたのだ。

 だが、208年後、ソ連は崩壊を迎えた。クリミアを手放すつもりのないロシアには、使えるカードはほとんどなかった。だが、強力な切り札が1枚残されていた。天然資源だ。

 「我が国は、天然ガスと石油をロシアに大きく依存していました。ロシアは、約10億ドル(約850億円)あった債権を盾に圧力をかけたのです」と、あるウクライナの当局者は語った。1997年に両国は協定を結び、ロシアの黒海艦隊は2017年まで駐留を続け、ウクライナの債務からは数十億円が差し引かれることになった。そして昨年、親ロシア派のビクトル・ヤヌコビッチ新大統領が誕生すると、ウクライナ政府は艦隊の駐留を25年間延長した。ロシアはそれと引き替えに、天然ガスを市場価格の7割でウクライナに提供することになった。

 ロシア系住民が多い東部・南部とウクライナ民族主義が強い西部。いつものことだが、このときもクリミアは二つに割れた。

 親族にロシア海軍の関係者が多いガリーナは、この決定を喜んだ。「孫はサンクトペテルブルクの士官学校にいるの。夫も海軍士官だったし、祖母は海軍の軍服を縫っていたわ。私が育った家は、『英雄都市の英雄の家』なの」

セバストポリには2300基もの戦争記念碑がある。1945年、市はソ連政府からレーニン勲章を授与され、第2次大戦中に247日間に及ぶドイツ軍の攻囲を耐え抜いた功績によって「英雄都市」の称号を与えられた。セバストポリは、そのおよそ90年前のクリミア戦争でも、フランス軍、英国軍、トルコ軍に349日間も包囲されたことがある。

失われたタタール人の故郷

 領土を支配すること、特に楽園の支配となると、それは単なる土地の保有では済まされなくなる。クリミアの歴史がその難しさを物語っている。クリミアの支配者はスキタイ人からギリシャ人、ローマ人、ゴート族、フン族、モンゴル人、タタール人へと移り変わった。タタール人は、ユーラシアの大草原から13世紀に移住してきたイスラム教徒のチュルク系民族だが、ソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリンから目の敵にされ、強制移住の悲哀を味わった。

 1944年5月の3日間、ソ連の民兵がタタール人の家に押し入り、中央アジアへの移住を命じた。その数は20万人に上り、半数近くが病気や餓えのために死んだ。「家に民兵がやって来たとき、私はまだ少年でした」。モスクワの大学教授を定年退職したアイディン・シェミザーデが当時を振り返る。彼が故郷を再び目にすることができたのは、20年後のことだ。

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