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インカ 気高き野望

APRIL 2011

文=ヘザー・プリングル

ハイラム・ビンガム
マチュピチュにたどり着いた男

 アンデスの険しい斜面を、3人の男が這(は)うようにして登っていく。1911年7月24日の朝のこと。米国エール大学で中南米史の講師をしていた35歳のハイラム・ビンガム3世が2人のペルー人を伴って、「マチュピチュ」(ケチュア語で「古い山」)と呼ばれる尾根にあると伝えられていた遺跡を探しに行くところだった。出発地点であるウルバンバ川が流れる谷底から550メートルほど山を登ったところで、一行は2人の農民と出会った。遺跡などないのではないかと疑い始めていたビンガムに向かって、農民たちは「すぐ近くにある」と断言し、道案内のために、一人の少年を付けてくれた。

 遺跡にたどり着いたとき、ビンガムは目の前の光景に息をのんだ。迷路のような階段構造や石壁が、草むらに半ば埋もれていた。廃墟(はいきょ)となったインカの都市は、400年近くも置き去りにされていたのだ。「信じ難い夢のようだった」と、ビンガムは回想している。

 だが、マチュピチュを最初に発見したのはビンガムではない。彼より10年ほど前に、ペルー人農夫がこの地を訪れ、自分の名前を壁に刻んでいる。このことは、ビンガム自身も後に認めている。ただ、遺跡を科学的に調査したのは、ビンガムが初めてだった。エール大学とナショナル ジオグラフィック協会の資金援助を受けて、遺跡を覆う草木を刈り取り、写真を撮影し、配置を記録した。そこで見つかった数千点もの考古遺物はその後、大学へと送られた。

 「失われた古代都市発見」のニュースが伝わると、研究者たちが謎解きを始めた。要塞(ようさい)説や祭祀場説などが唱えられたが、真相は長い間、分からなかった。1980年代になって、突破口が開けた。スペイン人の征服後40年ほどしかたっていない1568年の訴訟文書が発見されたのだ。パチャクテック・インカ・ユパンキ王の子孫が、裁判所への請願の中で、祖先が「ピチュ」と呼ばれる土地を所有していたと述べていたのだ。それはマチュピチュに極めて近い場所だった。その後、遺跡の建造物や遺物が綿密に調べられた結果、ここがパチャクテック王の離宮だったことが分かった。

 ビンガムが収集した遺物を巡っては、ここ数年、ペルー政府とエール大学は対立してきたが、2010年秋、保管するすべての遺物をペルーに返還すると大学側が発表した。現在、マチュピチュには2000人近い見学者が連日訪れる。そして、ビンガムが息をのんだ光景を目にするのだ。


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