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アヘン撲滅作戦

FEBRUARY 2011


 翌日、肥料と作物の種を目当てに数十人がやって来た。彼らにとっては海兵隊の基地へ行くことだけでも危険な行為なので、こうして訪れる農家は少ない。タリバンは道路に検問所を設け、農家が手に入れたばかりの肥料や種を奪い取る。ある少年はISAFが発行した登録カードを無理やり食べさせられたという。米海兵隊に協力していることが判明した部族の長老の一人が「ぼこぼこに殴られて、あざだらけになった」という話も、軍の通訳から聞いた。

政府の出方をみる農家

 大半の農家にとって、タリバンは恐ろしい存在ではあるが、よその国から来た軍隊よりは、まだなじみがある。それに、ISAFが去った後も、タリバンはこの地域にとどまり続けるだろう。

 「農家はタリバンと私たちを両天秤(てんびん)にかけて、どちらが勝つか見極めようとしているのです」と、種と肥料の配布の調整役を務めるNGO(非政府組織)「リフトバレー・アグリカルチャー」のジョン・ハレルは言う。「農家は何であれ、最も金になる作物を育てるでしょう。肥料と種を売ってケシの栽培を続けるんじゃないかと、私は思いますね」。海兵隊の基地から種の入った袋を持って出てきた農民の一人に話を聞いてみると、あいまいな答えが返ってきた。「欧米の軍隊が出ていった後、州政府がどう出るかにかかっています。政府が何もしなければ、私はケシを栽培します」

 「ここには2種類の通貨がある。ケシと米ドルだ」。そう話すのは、肥料を受け取った別の農民だ。名前はレフマトゥ。33歳で、熱心なイスラム教徒の象徴とされるあごひげは生やしていない。「この国の経済はそれで回っているんだ。私はタリバンから圧力を受けていない。そんなのはテレビの中の話だ。私は自分の意思でケシを育てて、密売をやっている。理由はタリバンじゃない。貧困だ。ここの人間は今後もケシの栽培を続けるだろう。力ずくでやめさせられない限りね。力はすべてを解決するんだ。パシュト語には『権力があれば山も平らにできる』ということわざがある」

 「誰が密売を阻止するっていうんだ? 警官か?」と、レフマトゥは笑いながら聞いてきた。「警官自身がアヘンを車に載せて運んでいるんだぞ! ラシュカルガーやカンダハルに大きなビルがあるだろう。汚職で稼いだ金で建てたんだ」。レフマトゥはタリバンを支持するそぶりも見せず、「あいつらは、ただの下働きだ」と言い放ったが、一方でタリバンが作り上げた麻薬密売システムの恩恵は受けている。

 だが、「アフガニスタンにとって『ケシ経済』は、それほど悪いことだろうか」と私が問うと、皮肉っぽい軽口が止まった。

 「よくない金の稼ぎ方だ」と、レフマトゥは真顔で答えた。「他の仕事の訓練にはならない。父親がケシで稼いだ金で息子を養っていれば、息子もケシの栽培をやるだろう。それ以外、手に職がないからだ。ここには大工もエンジニアも機械工もいない。何もないんだよ」

 レフマトゥは、悲しげな笑みを浮かべて言った。「麻薬ビジネスは、この国に巣くう、がんみたいなものなんだ」

援助頼みの復興

 だとすれば、がん細胞を切除することはできないのか。パキスタンとの国境に近い東部のナンガルハール州には、主要な麻薬密輸ルートが昔からある。ハイバル峠とトラボラの洞窟群を含む山岳部は、悪名高い無法地帯だ。

 この州は気候が温暖で、2004年までアフガニスタン最大のアヘン生産地だった。翌年にはケシの強制除去が始まったが、農家に別の生活手段を用意するという政府の約束はすぐには実行されなかった。州都ジャラーラーバードでさえも開発が進まず、さびれたままだった。

 だが現在、同市とその周辺は「ケシ経済」からの脱却に成功したように見える。もともと周辺部は、アフガニスタンの代表的な農業地帯とされてきた肥沃(ひよく)な地域だ。今は野菜畑が広がり、赤キャベツやトマトが鮮やかに色づいている。ジャラーラーバードの通りは国内有数の繁華街となり、にぎやかな卸売市場にはスイカやジャガイモ、カボチャ、オクラ、タマネギなど数十種類の作物を満載したトラックが毎朝、何百台も到着する。

 どの農産物も、金銭的な価値ではアヘンに及ばない。市場で会ったジャガイモ農家の男性は、生活費が足りなくて夜は警備員の仕事をしていると打ち明けた。「それでも後悔はしていません。もうケシを栽培しなくていいと思うとうれしいんです」

 州都から南に下って、ヤギバンドという村を訪れた。以前はケシ栽培にほぼ頼り切っていた村だが、今では綿花やコメ、ブロッコリーなどを育てている。田畑を見下ろす部屋で、部族の長老たちが「ケシ経済」から脱却した後の暮らしを振り返ってくれた。「生活のレベルは5年前より落ちました」と、長老の一人は言った。「それでも収入は以前の6割くらいあります。それに新しい事業にも期待がもてます」

 その一つは水力発電を利用した織物工場で、米国国際開発庁の委託を受けた企業が建設した。ナンガルハール州では、こうした事業が次々に進められている。農業用水のダムと水路、新しい橋、女性たちの織物協同組合、ポテトチップス工場、はちみつの精製所、ジャム製造工場、そしてジャラーラーバード市内の卸売市場……。私が訪問しただけでも、これだけある。外国からの援助は、数え切れないほどありそうだ。

 卸売市場のフワジャ・モハンマド副場長はNGOの貢献を高く評価しているが、こう付け加えるのも忘れなかった。「アフガニスタンは今も交戦状態にあります。まだ、自力で立つことはできないのです。30年間も戦争が続いた国は、復興までに80年かかるかもしれません。農家への支援が長続きしなければ、ケシ畑がなくなることはないでしょう」

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