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ようこそ、
パリの地下世界へ

FEBRUARY 2011


 しかし、シャルリエは骨を調べて、そこに秘められた物語の断片を見つけ出す。病気や事故の痕跡、傷跡、手術跡、食べていたものまで突きとめて、骨の持ち主の人生を描き出そうとしているのだ。彼がまたビニール袋の中を探った。「おっ!」。シャルリエは椎骨(ついこつ)に残る病変を見逃さなかった。「マルタ熱だ!」。ブルセラ症とも呼ばれるこの病気は、ブルセラ属の細菌に感染した動物やその分泌物との接触で起こる。「この骨の持ち主はチーズを作っていたのかもしれません」と、シャルリエは言った。

 私はカタコンブを見渡した。ここはまさに図書館だ。このチーズ職人をはじめ、何万もの物語が眠っている。シャルリエはその一部を袋に入れ、メトロで研究室に戻った。

採石場跡を監視する調査官

 「とっておきの穴を用意してあります。大変だけど、がんばってください」。調査官はそう言うと、にやりと笑って、バンのドアを勢いよく閉めた。

 暖かい春の朝、私たちを乗せた車は静かな大通りを走っていく。緑の葉を茂らせるクリの並木道を、通勤客が足早に歩いている。ここは、パリにほど近いアルクイユというコミューンの外れ。バンは交通量の多い通りで止まった。道路脇では、同僚の調査官たちが青いカバーオールと丈の長いゴム長靴を身につけ、ヘルメットをかぶっている。

 私たちは堤防の下にあるマンホールに集まった。そこから、真っ暗い穴が地中深くへ延びている。ヘッドランプを点けて、はしごを降りていくのは、採石場跡総合調査局(IGC)の調査官たち。陥没事故が起きないように、地下の坑道を調査するのが、彼らの役目だ。穴の底まで下りると、地質学者のアンヌ=マリー・ルパルマンティエが酸素濃度を測定した。今日は酸素が十分あるようだ。私たちは低い天井に頭をぶつけないよう、身をかがめて通路を進んだ。

 パリは、石灰岩とジプサム(石こう)の大きな岩盤の上に築かれている。石の切り出しを始めたのは古代ローマ人で、現在も、当時造られた浴場や競技場、彫刻が残っている。ローマ人が「ルテティア」と呼んだ町はやがて「パリ」と名を変え、露天掘りだった採石作業は地下深くで行われるようになる。ルーヴル美術館もノートルダム大聖堂も、こうして切り出された石で建設されたのだ。

 当初、採石場はパリの中心から遠く離れていたが、都市の発展とともに、その一部が古い坑道の上にまで広がった。こうした拡大は何世代にもわたって進み、地下の状態など考慮されなかった。そして1774年12月、大規模な陥没が初めて起きた。場所は現在のダンフェール=ロシュロー大通り沿いで、不安定だった坑道が崩れて人家や住民をのみ込んだのだ。それから数年の間に陥没事故が相次ぎ、多くの建物が地中に消える。国王だったルイ16世は建築家シャルル・アクセル・ギヨモーに命じて、採石場跡の調査と地図の作成、安定化を図らせることにした。こうして坑道の調査と陥没防止の支柱設置が少しずつ進み始めたのだ。

 期を同じくして、過密化し、公衆衛生にとって有害となっていた墓地を閉鎖して遺骨をすべて掘り返すことになった。王はギヨモーに大量の骨の移動先を探せと命じる。そこで、彼は採石場跡をカタコンブとして使うことにした。

 私はルパルマンティエが率いる作業チームとともに、地下約30メートルの坑道に下りた。そこには、大きな石を5、6個積み上げた柱があった。19世紀初頭に作られたらしい。「触らないで。崩れやすいから」と、ルパルマンティエが言った。柱が支えている天井には、大きな亀裂が走っている。ルパルマンティエの話では、小規模な陥没は現在も毎年起きているという。私たちがいる坑道の下には、さらに別の坑道が走っていて、もし、目の前の石柱が崩れれば、下にある坑道へと陥没する恐れがある。

 私たちはさらに深い場所を目指した。通路の突き当たりには暗く小さな穴があった。これこそ、数時間前に地上で調査官が言っていた「とっておきの穴」だ。大きさは私の肩幅ほどしかなく、どこに通じているのか、誰も知らない。まず、若い調査官が身体を押し込んだ。私はルパルマンティエの方をちらりと見た。彼女は首を横に振って、手ぶりで私に順番を譲った。「お望みならば、どうぞ」、そんな仕草だった。

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