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特集

古代イスラエル
消えた王国

DECEMBER 2010

文=ロバート・ドレイパー 写真=グレッグ・ジラード

代イスラエル王ダビデとソロモンは、どんな王国を築いたのか。その答えをめぐり、考古学者の間で激しい議論が巻き起こっている。

 丸顔の女性がベンチに座って、肌寒い秋の空気に身を縮めながら、リンゴをかじっている。その視線の先にあるのは、イスラエルのエルサレム東部、旧市街にある建造物だ。建造物と言っても、高さ20メートルほどの古い階段状の石垣の隣に、低い石壁がいくつか残っているだけ。だが、これこそが、考古学者である彼女に、名声と苦痛をもたらした建造物である。

 彼女はこの低い石壁から、古代のさまざまな光景を想像する。旧市街の北、キドロンの谷を見下ろせる丘という位置。王国を一望の下に見渡すには、絶好の場所だっただろう。紀元前10世紀にフェニキア人の大工や石工が壁を建てている場面を、彼女は思い浮かべる。

 この建造物の建築を命じ、そこに住んだ男が誰なのか、彼女には確信があった。その名はダビデ。「ティルスの王ヒラムは……木工、石工を送ってきた。彼らはダビデの王宮を建てた」。旧約聖書のサムエル記にそう書かれたダビデの王宮の最有力候補が、この石壁である―2005年、彼女はそう宣言した。

 女性の名はエイラート・マザール。リンゴをかじりながら、じっと壁を見つめていたが、ツアーガイドが姿を現すと、表情を一変させた。5、6人の観光客を引き連れたガイドは若いイスラエル人で、マザールの研究室の元学生だ。観光客を連れてきて「ここはダビデの王宮などではありませんよ」と吹聴しているらしい。そればかりか、ここ東エルサレムの「ダビデの町」の発掘調査はすべて、右派のイスラエル人が自分たちの父祖の地だという証拠を見つけ、パレスチナ人を追い出すために進めている事業だと説明しているという。

 マザールはベンチから立ち上がると、つかつかとガイドに近づき、ヘブライ語で辛辣(しんらつ)な言葉を浴びせた。そのまま立ち去っていく彼女を、観光客はあっけにとられた様子で眺めていた。

 「誰もが寄ってたかって、人の仕事をつぶしにかかっているみたい」とマザールはこぼした。「なぜなの? 何か悪いことをしたというの? ストレスで病気になりそう。何だかすっかり老けこんでしまった気分だわ」

賛否両論が噴出

 イスラエルほど考古学界が激しい派閥対立に引き裂かれている国はない。マザールの2005年の論文も論争の火種となった。

 聖書には、ダビデが古代のユダ王国の基盤を固め、その息子ソロモンが王国を継いだと書かれている。見つかった石壁がダビデの王宮跡であれば、聖書の記述は史実であるとする主張を裏づける有力な証拠になる。世界中の多くのキリスト教徒とユダヤ教徒は、王宮跡“発見”のニュースに大いに沸いた。

 特にイスラエルでは、大きな反響を巻き起こした。ユダヤ人は長年、旧約聖書に登場するシオン(エルサレム、さらにはイスラエル全体を指す)は自分たちの父祖の地であると主張し、そこに国家を再建する運動を進めてきた。ダビデとソロモンの物語は、このシオニズム運動の核心に織り込まれている。

 ユダ族の羊飼いダビデが、ペリシテ人の巨漢ゴリアテを倒し、紀元前11世紀末にユダの王となる。ダビデはエルサレムを占領し、北部のイスラエルの諸部族をユダ王国に統合する。王国は息子ソロモンに受け継がれ、紀元前10世紀に入った後も長く栄えた。こうした聖書の記述では、二人の王が築いたイスラエルの王国は強大な一大帝国で、地中海からヨルダン川、ダマスカスからネゲブ砂漠まで支配したとされる。だが、発掘調査では、ダビデかソロモンが何らかの建造物を築かせたことを示す確実な証拠は一つも見つかっていなかった。

 そこに、マザールの“大発見”が発表されたのだ。大騒ぎになることは「わかっていたはず」だと、イスラエルのヘブライ・ユニオン大学の考古学者ダビド・イランは話す。「彼女は自分から論争に首を突っ込んだのです」

 イランは、マザールの見つけた石壁は「おそらく紀元前9~8世紀のもの」だと考えている。ソロモンが死んだとされる紀元前930年よりも、100年以上後に建てられたと言う。

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