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特集

南部スーダン
独立への苦闘

NOVEMBER 2010

文=マシュー・ティーグ 写真=ジョージ・スタインメッツ

2005年に内戦が終結し、分離独立を問う国民投票を来年に控えた南部スーダン。ある少年の人生から、地域の実情が浮かび上がる。

 今から30年近く前、1983年の第2次内戦が始まる以前のことだ。南部スーダンのある村で、ロゴチョという名の9歳の少年が草葺(ぶ)きの小屋の入り口をのぞき込んだ。そのとたん、中から飛び出してきた父親たちにつかまり、地面に押さえつけられた。

 こいつはおかしな子だ。息を弾ませながらロゴチョの顔を見下ろし、父親は思った。大きく波打つその胸には傷跡がいくつも走り、顔や額にも線や点の模様がある。それは勇敢なムルレ族の証しだ。他の部族が家畜を盗みに来たら、槍(やり)やナイフ、げんこつ、歯と、あらゆる武器で戦うという意思表示である。

 だが、息子のロゴチョは古いしきたりにまったく興味を示さない。同年代の少年たちと部族の通過儀礼を受けるときも逃げ出して、草むらに隠れていた。父親たちに組み伏せられているその体には、ムルレの証しである傷跡が一つもついていない。

 父親にとってそれ以上に心配なのは、ロゴチョが牛に興味を示さないことだった。乳を吸うことはするが、それは乳が飲みたいというだけの話で、牛に特別な愛着があるわけではない。遠い祖先の時代から、ムルレの男たちだけでなく、ディンカやヌエルなど南部スーダンの諸部族はみな、牛とともに暮らしてきた。名前をつけ、飾り立て、寝起きをともにする。妻をめとるときには相手の親に牛を贈る。生まれた子供も牛の世話をし、家畜を増やしていく。

 「いったい何がしたいんだ」と父親が聞いた。

 男たちが牛を連れて水場から水場へと移動する時期、ロゴチョは祖母とともに村に残りたがった。祖母は干からびた大地を棒でひっかいて耕し、種をまいて、モロコシや豆、トウモロコシ、カボチャを育てている。ロゴチョはその畑仕事を手伝った。父親にしかられると、祖母がかばってくれた。

 けれども今は、祖母にも手の出しようがない。父親たちにしっかり押さえつけられている。「ナアア(なんで)?」とロゴチョは叫んだ。僕が何か悪いことをしたの?

 すると父親が一人の男を呼んだ。歯を折る「専門家」だ。男は薄い金やすりのような道具を手にして、ひざまずき、ロゴチョの顔をのぞき込んで、口をこじ開けた。

 下の前歯の間にその道具を差し入れ、歯茎まで押し込むと、満身の力を込めてねじる。バキッという音がして、前歯の1本が折れた。ロゴチョの口からはうめき声がもれ、血があふれ出た。同じようにもう1本の前歯も折られた。

 「これでおまえもムルレの男だ」。父親はそう言うと男らとともに立ち去った。ロゴチョは地面に横たわったまま体を丸めた。あふれ出る血が、乾いた大地をどす黒く染めた。

 その数カ月後、南部スーダン全域で北部の政府に対する長年の不満が爆発し、政府軍と武装勢力の全面対決に発展した。20年余りも続いたこの第2次内戦で、南部の400万人以上が村を捨てて奥地や北部の都市、近隣諸国に逃れ、200万人が命を落とした。これほど多くの犠牲者が出たにもかかわらず、内戦は国外ではほとんど注目されなかった。

 内戦に入ってからのロゴチョの人生も、同じように激動の時代に入る。逃亡し、戦い、生きる目的を探し続けた彼の成長の軌跡は、南部スーダンのたどった運命を如実に映し出す。

なぜスーダンは一つなのか

 北部と南部の対立の源には、地理的な要因がある。アフリカ大陸の北部に横たわる広大なサハラ砂漠。その白い広がりとくっきりと対照をなすように、大陸南部には、サバンナと熱帯林の緑が広がっている。スーダンの国土は、ちょうどこの境界をまたぐように横たわる。

 この国ではまた、北部のアラブ人と南部のアフリカ系黒人の対立もある。7世紀、当時ヌビアと呼ばれていた今の南部スーダンにイスラムの軍勢が侵攻したとき、住民の多くはすでにキリスト教を信仰していた。ヌビア人はイスラムの征服者に抵抗し、1000年以上も膠着(こうちゃく)状態が続いた。その後、エジプトのカイロに駐在するオスマン帝国の総督が、象牙と奴隷の供給地としてこの地に目をつけた。1820年には、アラビア語で「黒い人」という意味の「スーダン」と呼ばれていた人々が、3万人も奴隷にされた。

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