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ツタンカーメンの両親は誰?

SEPTEMBER 2010

文=ザヒ・ハワス 写真=ケネス・ギャレット

19歳で亡くなった古代エジプト王、ツタンカーメン。その父親と母親は誰なのか。DNA解析で明らかになった驚愕の真実とは。

 尽きせぬ謎と魅力を秘めた古代エジプトのミイラは見る者の想像をかきたて、心をとらえる。だが、かつては彼らも、私たち同様この世に生を受け、人を愛した生身の人間だった。

 私たちは太古の死者の尊厳を重んじ、彼らの安らかな眠りをみだりに乱すような行為を厳に慎むべきだろう。

 とはいえ、古代エジプト王であるファラオについては、そのミイラを調べなければ解き明かせない謎がある。私たちは2005年にツタンカーメン王のミイラをCT(コンピューター断層撮影装置)で調べ、その死因がそれまで有力とされていた頭部の打撲ではないことを立証できた。また、ツタンカーメンがわずか19歳で死亡したこと、それも左脚の骨折後まもなく息を引きとった可能性があることもわかった。

 そして今回、この若き王のミイラにさらに深く探査のメスを入れ、その誕生と死にまつわる驚くべき事実を明らかにすることができた。

 私にとって、ツタンカーメンの生と死は、結末が書かれていない壮大なドラマのようだ。“第1幕”が始まるのは、ツタンカーメンが生まれる数十年前の紀元前1390年ごろ。偉大なるファラオ、アメンへテプ3世が第18王朝の王になったときである。ユーフラテス川流域からナイル川の第4急湍(きゅうたん)(ナイル川で流れが急な難所の一つ)まで、南北1900キロにわたる一大帝国を支配し、想像を絶する富を手にした。強大な権力をもつ王妃ティイとともに、37年間エジプトを治め、アメン神をはじめとする祖先の神々を祭った。その治世には、平民たちも繁栄を享受し、エジプトの支配下に置かれた外国からの莫大な貢租(こうそ)や献上物で国庫は大いに潤った。

 第1幕のテーマが伝統と安定だとすれば、“第2幕”のそれは反逆だ。アメンへテプ3世の死後、王位を継いだのは、次男のアメンへテプ4世だった。この新王は奇妙な夢想家で、アメン神など国家の神殿に祭られた神々への信仰に背を向け、日輪をかたどった太陽神アテンを唯一の神として崇拝するようになった。

 王位に就いて5年目、「アテンに仕える者」という意味のアクエンアテンと改名し、自らを神格化した。さらに、長く都が置かれていた宗教の中心地テーベを捨てて、約300キロ北にある現在のアマルナに都を移し、美しく偉大なる王妃ネフェルトイティとともに、アテン神に仕える高位の神官として国を治めた。

 この時代には、美術作品にも革命の影響が及んだ。アクエンアテンの彫像やレリーフ(浮き彫り)は、歴代のファラオのような理想化された姿ではなく、顔が長く、唇がぶ厚く、下腹が出た、妙に女性的な姿に描かれている。

 アクエンアテン時代の末期には、統治が混乱し、謎に包まれた空白の期間がある。ごく短い期間に、一人、もしかしたら二人の王が、アクエンアテンの共同統治者か後継者、あるいはその両方として国を治めていたようだ。多くのエジプト学者と同様、私も、これらの「王たち」の一人は王妃ネフェルトイティだったと考えている。もう一人は、スメンクカーラーと呼ばれる謎めいた人物で、その素性についてはほとんど何もわかっていない。

 確かなのは、“第3幕”が始まったときには、9歳の少年が王位に就いていたことだ。その名は「アテン神の生き写し」を意味するツタンカーテン。王位を継いで2年もしないうちに、王妃のアンケセンパーテン(アクエンアテンとネフェルトイティの娘)とともにアマルナの都を捨ててテーベに戻り、旧都の繁栄と栄光をよみがえらせた。王と王妃は、それぞれツタンカーメン、アンケセナーメンと改名し、再びアメン神を奉じる決意をエジプト中に知らしめた。

 ドラマの幕はここで下りる。王位に就いて10年で、ツタンカーメンは跡継ぎを残すことなくこの世を去り、遺体は急きょ、ある個人の墓としてつくられた小さな墓に埋葬された。アクエンアテンの異端信仰に対する反動で、その後のファラオは、ツタンカーメンも含めアマルナの王たちの事跡をほぼすべて歴史から消し去った。

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