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特集

敦煌 莫高窟

JUNE 2010


色彩あふれる砂漠の石窟群

 敦煌市街から南東へ20キロほど行くと、砂丘に断崖が現れる。崖の高さは30メートル以上もあり、その麓(ふもと)にはポプラの木々に縁取られた川床が延びている。7世紀半ばまでに、この全長1.5キロの岩肌に、数百もの石窟がハチの巣状に造られた。巡礼者たちはここで、タクラマカン砂漠を横断する旅の安全を祈り、玄奘は無事に旅ができたことを感謝した。

 石窟の内部は、外に広がる単色で生命感のない砂漠とは異なり、鮮やかな色と躍動感に満ちている。壁一面に、無数の仏が極彩色で描かれ、その衣は異国から輸入された金で輝く。天井画に浮かぶ天女や楽人の青い衣は、ラピスラズリの顔料で彩られている。

 神々しい涅槃像の隣には、世俗的な絵がある。高い鼻と柔らかい帽子が特徴的な中央アジアの商人、白い法衣を着たインドの老僧、土地を耕す中国の農民。シルクロードの旅人にとっては、見慣れた面々だったに違いない。最古の年記が残る石窟が造られたのは538年で、その壁には仏教説話の一場面が描かれ、盗賊たちが登場している。その盗賊は捕えられ、眼をつぶされて、最後には仏教に帰依する。玄奘もこの壁画を目にしたかもしれない。

 しかしその時、自分が翻訳する仏典がそれから数百年にわたって、莫高窟の画工たちにインスピレーションを与えることになるとは思いもしなかったはずだ。また、その仏典が手がかりとなって、1200年以上も後に石窟が再発見され、略奪に遭い、最後には保護されるなど夢にも思わなかっただろう。玄奘の目に映ったのは、唐帝国のはずれの砂漠にある石窟の暗闇で、画工たちの筆によって仏教が変容していく光景だったに違いない。

 4~14世紀に造られた莫高窟は、戦乱や略奪、自然の猛威を乗り越えてきた。石窟群は数世紀にわたり人々から見捨てられ、半ば砂に埋もれていたが、今では世界有数の仏教美術の宝庫として知られる。また、敦煌の壁画や塑像(そぞう)、経巻は、シルクロードで1000年にわたって栄えた多文化社会の様相を垣間見せてくれる、唯一無比の存在でもある。

 莫高窟は中国語で「比類なき洞窟(どうくつ)」という意味だという。断崖に掘られた800近い石窟のうち、492窟の壁面には精巧な絵が描かれ、壁画の総面積は4万6000平方メートルを超える。東京ドームの面積とほぼ同じだ。石窟内には2000体以上の塑像が安置され、なかには同時代で最高レベルの作品もある。

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