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特集

マンデラの子供たち

JUNE 2010


実行犯の素顔

 爆弾テロ事件から1カ月近くたったある日、実行犯から警察に電話があった。電話の主は、ステファーンスこと、ダニエル・ステファヌス・クッツェー、19歳。犠牲者に子供がいたことを知って、自首する決意を固めたと言う。警官に対し、アフリカーンス語で「オーム」(おじさんという意味の敬称)と呼びかけるなど、話し方はきちんとしていて、田舎育ちらしく、行儀がよくておとなしい若者だった。

 南アフリカには極右の白人至上主義集団がいくつもあるが、クッツェーはそのほとんどすべてに所属していた。逮捕された後もしばらくは、獄中から米国の白人至上主義結社クー・クラックス・クラン(KKK)やドイツのネオナチのメンバーと連絡をとり続けていた筋金入りの白人至上主義者だった。

 白人至上主義集団のなかでは兵士としての才能を高く評価され、模範的なメンバーだったクッツェーだが、西ケープ州のヘルダーストルーム重警備刑務所に入れられると、囚人どうしの序列で最下位に甘んじることになった。最初の数年間は60~120人の受刑者があふれる雑居房で過ごしたが、若い白人の彼は何度も性的虐待を受けそうになったという。

 その後、プレトリア中央刑務所に移されて10年余り。2009年11月、32歳の誕生日を迎えたばかりの彼と、私は面会することができた。屋内で過ごしてばかりいるせいか顔は青白い。顔立ちは幼く見えるが、目の端に刻まれた細かなしわが年齢を感じさせる。黒い髪は短く刈り込まれ、オレンジ色のつなぎの囚人服はサイズが大きすぎ、ベルトをいちばん内側の穴で締めて服を引きずらないようにしていた。

 私たちは黄色い壁で囲まれた広い面会室で、向かい合って座った。窓が五つか六つあったが、昼近くとはいえ、雨が降りしきり、光はほとんど入ってこない。蛍光灯の明かりに照らされた部屋は、肌寒かった。

 クッツェーは身の上話を始めた。1977年に生まれたが、母親は育児に関心がなく、父親はアルコールにおぼれていた。両親が一緒にいる場面は記憶にないと言う。幼いころは、オレンジ自由州(現在の自由州)で父親と暮らしていた。8歳か9歳のころに父親が養育不能になると、施設に入れられ、その後、北ケープ州の都市アピントンにいる母親のもとに送られた。以後6、7年は、いくつかの住居を転々としたが、どこに行っても十分な養育は受けられなかった。

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