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特集

伝説の茶馬古道

MAY 2010


 茶馬古道の全長はおよそ2250キロ。茶の名産地である四川省の雅安と、チベットの聖都ラサ(標高3650メートル)を結ぶ、標高の高さでも過酷さでもアジア有数の交易路だった。緑豊かな中国の渓谷から出発して、強風が吹きすさび、雪に覆われるチベット高原を横断する。長江(揚子江)や瀾滄江(メコン川)、怒江(サルウィン川)の、身を切るように冷たい浅瀬を渡り、神秘的なニエンチェンタングラ山脈に分け入って、標高5000メートル級の4つの峠を命からがら越えて、ようやくラサにたどり着く。

 古道の西半分はしばしば吹雪に閉ざされ、東半分は豪雨に洗い流されたし、山賊に襲われる恐れは常にあった。茶馬古道の起点と終点の文化は対照的で、互いに反目し合う関係にあったものの、何世紀にもわたって人々はこの道を利用してきた。より北方を通るシルクロードは、思想や道徳、文化、創造活動の交流というロマンチックな側面もあったが、茶馬古道は交易をしたいという現実的な願望によって存在していた。中国にはチベットでは手に入らない茶があり、チベットには中国が欲しくてたまらない馬がいたのだ。

 雅安西部の長河壩(チャンホーパー)村に住む92歳のルオ・ヨン・フーは、茶馬古道を記憶にとどめる数少ない人間の一人だ。私が四川省を訪れた当初、茶を運んだ経験者はもう誰も生きていないと言われたが、古道跡を歩くうちに、ルオのほか5人に会うことができた。

 かつての茶葉運搬人たちは皆、当時の様子を語りたがった。ルオは黒のベレー帽に青い人民服を身に着け、ポケットにキセルを挿していた。彼は1935~49年、古道を通って、一度に60キロ以上の茶を運んだ。当時の体重は茶葉より少ない50キロほどだった。

 「とても過酷で苦労が絶えなかった。ひどい仕事さ」とルオは振り返る。

 ルオが幾度となく越えた馬鞍山峠こそ、私が行きたい場所だ。そこは冬になると1メートルの雪が積もり、岩から2メートルのつららが下がるという。1966年を最後にこの峠を越えた者はいないから、行くのは無理だろうとルオは言った。

 それでも私は、茶を運ぶ旅をおぼろげながら見ることができた。当時、雅安を出発した運搬人は20日かけて康定に到着した。その最初の中継地、新開田(シンカイティエン)を訪ねた時のことだ。ガン・シャオ・ユ(87歳)と、リー・ウェン・リアン(78歳)という二人の元運搬人が、茶を運ぶ様子を再現して私に見せてくれたのだ。

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