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特集

上海再興

MARCH 2010


「海派」文化を育んだリズム

 あらゆる都市にはリズムがある。いわば都市を動かす鼓動だ。だが、急激に成長するここ上海では、削岩機やブルドーザーの音にかき消されてなかなか聞こえない。2010年5月から10月にかけて開催する万博に向け、上海は今、大きく変貌しようとしている。増殖する超高層ビルと建設現場はその変化の一部だ。

 しかし、上海発展の原動力となっているのは、建設機械ではない。都市文化だ。過去の栄光の復活をめざしながら、新しいものや外国の要素を喜んで受け入れる文化こそが、この街の鼓動なのである。

 上海の住民は都会人であり、他の中国人とは言葉や習慣、ライフスタイルが違う。しばしば「海派(ハイパイ・上海流)」と呼ばれる都市文化は、外国の商人と中国人移住者が出会いを繰り返す、上海特有の歴史のなかで育(はぐく)まれてきた。「外国人の目に映る上海は『神秘的な中国』の一部。他の中国人の目に映る上海は外国の一部です」と地元のコメディアン、周立波(チョウリーポー)は言う。

 中国の基準で言えば、上海は成り上がり者の都市だ。皇帝の宮殿があった北京とは異なり、170年前は地味な漁業の町にすぎなかった。1842年、上海はまず南京条約によって欧米諸国に開放され、茶や絹とアヘンを取引する貿易港になった。黄浦江(ホワンプーチアン)西岸の外灘(ワイタン)に立ち並ぶ豪壮な建物群は、外国の力の象徴だった。英国人の銀行家、ロシア人の踊り子、米国人の宣教師、フランス人の社交界の名士、ユダヤ人の亡命者-世界中から人々が移り住み、エキゾチックな混合文化を作り上げた。

 1930年代までに上海は世界10大都市の仲間入りを果たしたが、同じような都市はほかになかった。「混血」の大都市・上海は怪しげな金もうけの街として名をはせたが、道徳的な退廃はそれ以上だった。英国人、フランス人、米国人は市内に自分たちの租界(居住区)を作り、街路樹を植えた通りに豪邸を建てた。ダンスホールや社交クラブ、アヘン窟(くつ・アヘンの吸引所)や売春宿まで、あらゆる夜の楽しみもそろっていた(上海は一時、世界で最も娼婦が多い都市と言われていた)。

 だが、この都市の活力を支えていたのは、中国の他地域から大挙して流入した数百万人の移住者だった。彼らの多くは、19世紀半ばに多数の犠牲者を出した太平天国の乱を逃れてやってきた避難民や改革派の人々だ。

 こうした新参者たちは商人や仲買人、あるいは苦力(クーリー・下級労務者)やならず者になった。彼らは大変な苦労の末に、まだ農業社会の色合いが強かった他地域と決別して、中国初のモダンな都市住民のアイデンティティーを作り上げた。家族の結びつきを重視する儒教の伝統は変わらなかったが、服装は西洋風になり、経済体制は資本主義に変わった。

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