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シリア 世襲政治の行方 NOVEMBER 2009 |
![]() 引き継いだのは“灰色の国家” 古くから交易で栄え、何千年もの間に多様な集団が移り住んできたシリア。そんな悠久の歴史を誇るこの国だが、バッシャールのたとえを借りるなら、そのモノクロ写真は、今まさに暗室でゆっくりと像を結ぼうとしているところなのかもしれない。 首都ダマスカスの混雑したカフェをのぞくと、トルコ帽をかぶった75歳の語り部が、十字軍の遠征とオスマントルコの興亡を、まるで見てきたかのような名調子で語っている。カフェの隣は、715年ごろに建てられた壮麗なウマイヤド・モスクだ。その前の広場では、子どもたちがサッカーをして遊んでいる。 街では、しゃれたカフェで友達と夕食を楽しむこともできる。だが、食事のあとバスを待っていると、警察署の2階の窓から、ぞっとするような悲鳴が聞こえてくる。誰かが拷問されているのだ。人々はわけ知り顔で目と目を見交わすが、口は開かない。秘密警察(ムハバラート)などにより監視されているこの国では、どこで誰が聞き耳を立てているともしれないからだ。 アサド政権が父親の代から40年近く続いてきたのは、善政を施したからではない。イラク、イスラエル、ヨルダン、レバノン、トルコと国境を接し、政治的・軍事的に不安定な地域にあるシリアで、アサド政権は狡猾(こうかつ)に立ち回り、より強大な国(かつては旧ソ連、現在はイラン)にすり寄ることで生き残ってきた。 シリアは1948年以来、イスラエルとは敵対関係にあり、イスラム急進派組織ヒズボラとハマスに武器を供与している。67年の第3次中東戦争でイスラエルに占領されたゴラン高原の奪還は、シリアの長年の悲願だ。 バッシャールに政権のバトンが渡されて10年近く。変化があったのなら、何がどう変わったのか、そろそろ検証してもいいだろう。折しもシリアは、中東和平の実現に意欲を燃やす米国のオバマ政権の呼びかけに応じ、和平交渉で重要な役割を担おうとしているようだ。 1970年代に国際政治の表舞台で活躍したヘンリー・キッシンジャー元米国務長官は、「エジプトなしには戦争はできない、シリアなしには和平は実現しない」という名言を残した。シリアが和平の鍵を握るというのは、今でも通用する見識だろう。もっともそれは、シリアが機能不全に陥った国内の体制を立て直してからの話だ。バッシャールもそれは認めている。 |