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特集

知られざるサハラ

OCTOBER 2009


 ガラマント文明が栄えた時代、サハラの気候は現在とほぼ同じだった。これまでは、ガラマントの人々は砂漠の遊牧民ではないかとされていたが、マッティングリーのチームが当時の首都ガラマ(現在のジャルマフの近く)の発掘調査と測量を行ったところ、人々は定住して農業を営んでいたことが判明した。それは乾燥地帯で特徴的に見られるオアシス農業で、高度な灌漑システムを構築して、小麦や大麦、モロコシ、ナツメヤシ、オリーブを栽培していたのだ。蒸発を防ぐための「フォガラ」と呼ばれる地下水路が残っていて、その全長は1000キロにも及ぶといわれる。この水利設備は数百年にわたって機能したが、湿潤な時代に蓄えられた地下水もやがて涸れ、文明も滅びていった。

 一見すると、サハラ砂漠はアフリカを南北に分断する障壁のように思える。だが、はるか昔からリビアに生きてきた人々にとって、この砂漠はアフリカ南部へと通じる重要な交通路だ。

 サハラ砂漠を通って、アフリカ南部からは黄金や象牙、それに奴隷が運ばれ、一方、地中海沿岸部からはオリーブ油やぶどう酒、ガラスなどが南部にもたらされた。広大な砂丘を縫うようにして進む隊商という、おなじみのイメージは、こうした交易から生まれたものだ。

 サハラは、人類が発祥の地であるアフリカ東部を離れ、世界各地に広がっていった際の通り道の一つだとも考えられている。これまで長い間、初期人類はナイル川沿いを北上してシナイ半島を横断したか、紅海を渡って、ユーラシア大陸へ拡大したと考えられてきた。しかし現在、新たな説が浮上してきている。現生人類の一部はまず地中海沿岸へ到達し、そこからシナイ半島を横断してユーラシア大陸へ進出したというのだ。フェザンがその長い移動ルート上に位置していた可能性がある。私たちの祖先をたどっていけば、アフリカ東部の大地溝帯を出発し、フェザン地方の砂の海を通って移動した彼らに行き着くかもしれない。

 考古学が好きな理由を、「現代の私たちに役立つ教訓がある」からだとマッティングリーが教えてくれた。ガラマント文明が滅びてから1500年たった現在、リビア政府は「巨大人工河川」の建設を進めている。これは巨大な地下導水管を敷設して、サハラ砂漠の地下深くにある大量の地下水をくみ上げ、砂漠を緑化しようというものだ。地下水はいまから数万年も前、この地域がはるかに湿潤だった時代にたまったものだ。水のくみ上げはすでに開始されており、地下水面は低下しつつある。巨大人工河川の寿命は、せいぜい50~100年とみられていて、サハラの遠大な歴史を考えれば、ほんの一瞬だ。気候変動と人間が織りなすフェザンの歴史物語はまだ終わらない。

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