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ある難破船の
数奇な運命

OCTOBER 2009


大航海時代の様子を再現

 「ダイヤモンドの難破船」と名付けられたこの船から見つかる貴重な遺物の全容が明らかになるにはまだ数年かかるだろう。「分からないことがまだ多すぎます」と語るのはポルトガル生まれのフィリペ・ヴィエイラ・ヂ・カストロ。米テキサスA&M 大学で海洋考古学研究プログラムのコーディネーターを務めるカストロは、10年以上もポルトガルの貿易船の研究を続けており、これまでに見つかったわずかな遺物をもとに、当時の貿易船の姿を再現するコンピューター・プログラムを作成した。「この難破船が発見されたことで、船体の構造から艤装(ぎそう)の中身、貿易船の発達の歴史、船員が調理していた食事、遠大な航海でどのような人々が運ばれたかなど、当時の航海の様子が克明に推測できるようになりました」

 リスボンに残る貴重な写本や王室の古文書を基に過去を解読する作業が行われ、長らく忘れ去られていた航海と行方不明となった貿易船の物語が明らかになってきた。

 1533年3月7日の金曜日、この貿易船の物語は始まる。この日、インドを目指す大艦隊が、悠然とリスボンを出帆した。ポルトガルの国威を象徴するこの艦隊は、15カ月間に及ぶ大航海で、インドやインドネシアなどから貴重なコショウや香辛料を持ち帰る予定だった。艦隊には建造されたばかりの国王の船が2隻あり、そのうちの1隻が、難破船であることが特定された「ボン・ジェズス(尊きイエス)号」で、ドン・フランシスコ・ヂ・ノローニャ船長以下、総勢300人余りの水兵や兵士、商人、神父、貴族、奴隷が乗り組んでいた。

 出港地から遠く離れた海岸で発見された、500年も前の難破船の名前を突き止め、その船がたどった運命を明らかにできたのは、綿密な調査と多くの幸運のたまものだ。ポルトガルは1755年11月にリスボンが地震と津波、大火災に見舞われて壊滅的な被害を受け、貴重な地図や海図、船舶の航海記録は残っていない。

 「史料となるインド貿易関連の古文書が残っていないため、研究者は想像力を駆使して情報を収集するほかないのです」。ポルトガル文化省と共同で研究を進める海洋考古学者で海事史研究家のアレクサンドル・モンテイロは語る。

 難破船をボン・ジェズス号と特定する決定的な手がかりとなったのは、船内に残っていた大量の硬貨だった。国王ジョアン3世の肖像が刻まれた美しい硬貨は、1525年から1538年までの13年間だけ鋳造されたが、その後回収されて2度とつくられていない。難破船内に硬貨が大量に残っていたことは、船がこの13年間に出帆したことを示す有力な手がかりだ。また、銅のインゴットを積んでいたことから、船はインドからの帰路ではなく、香辛料の買い付けにインドを目指していたと思われる。

 1755年のリスボン大地震で焼失を免れた図書館や古文書館には、注目すべき記録の断片が残っている。「レラソン・ダス・アルマダス(艦隊の記録)」と呼ばれる古文書には、1525年から1600年までに、21隻がインドへ向かう途中で行方不明になり、ナミビア近海まで南下したのはボン・ジェズス号だけとの記録が残る。

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