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ラン
甘美なる愛の罠

SEPTEMBER 2009


 黄色い酸素ボンベのようなものを背負わされて、気でも狂ったように飛ぶ雄のハチを見かけたが、心が痛む思いがした。交尾させてもらえるかと思いきや、“運び屋”として、ランの送粉に加担させられているのだ。もちろんハチ自身はそんなことを知る由もなく、本物の雌を求めて飛び回っているつもりだろうが、まだ、オフリスの性的策略から解放されてはいない。植物学者たちは、花粉を運ぶハチのことを「空飛ぶペニス」と呼んでいるらしい。もちろん、ほかのハチも同じように花粉を運んでいるのだが、ほとんどの場合は、花蜜や花粉といった食べ物が目当てであって、オフリスにおびき寄せられるハチのように、交尾が目的ではない。

ダーウィンを魅了したラン

 ランに見られるこうした送粉戦略は、実際には自然選択の貴重な実例であり、自然選択説による進化論の提唱者であるチャールズ・ダーウィン自身はその点を認識していた。オフリス属のランがハチに似ている理由を、ダーウィンが知ることはなかったが(偽交尾が最初に観察されたのは、ダーウィンの死後30年以上たった1916年のことだ)、ランの送粉戦略に興味をかき立てられた彼は、『種の起源』を発表した後に、『昆虫によって受粉されるランのさまざまな仕掛け』と題する本を出版した。その中で、ランの花と昆虫の関係についての優れた所見を数多く述べている。この本が『種の起源』より先に世に出ていれば、自然選択説に対する懐疑的な反応は、より少なくて済んだはずだと考える研究者もいるほどだ。

 観察を通じて、ダーウィンはランの花の構造こそ、「動物界における最も美しい適応形態と同じくらいに完璧なもの」だという結論に達した。どんなに珍奇な形をした花にも、遺伝子を広めるためという目的があり、しかも送粉者の形態を考慮しながら、同時に、植物としての必要条件を満たしている。それは、ダーウィンが唱える自然選択説を見事に証明してくれる好例になるはずだったからだ。

 特定の昆虫や鳥を誘引して自らの送粉に利用するために形を変化させたランとして、ダーウィンが取り上げたのが、マダガスカル島に自生するアングレークム・セスキペダレ(スイセンラン)だ。このランは、花蜜を分泌する距と呼ばれる器官の長さが30センチもある。ダーウィンは、細長い距の底部で分泌される蜜を吸うことができる長さ30センチの口吻をもつガがいるはずだという仮説を立てた。ダーウィンが生きている間は、そのようなガの存在は一度も確認されなかったものの、彼が世を去って数十年の後、口吻の長さが約30センチある新種のスズメガが発見され、ダーウィンの仮説が正しかったことが証明されることとなった。

 しかしながら、ランの送粉戦略はあまりに奇抜で複雑なため、進化論者たちは厄介な疑問をいくつも抱えることになる。必要以上に複雑な要素は消えていくというのが自然選択の原則のはずだが、なぜランはこんなに回りくどい送粉方法を続けているのだろうか? 送粉者に蜜を与えて、その代わりに花粉を運んでもらうという単純な方法を選ばなかったのはなぜか? そもそも、なぜ偽交尾という凝った方法をここまで発達させたのだろうか? そして、騙される側の送粉者にはどんな恩恵があるというのか? ニセモノの雌を本物と思い込んで、必死に交尾をしようとする愚かなハチこそ、自然選択によって絶滅しても不思議ではないようにも思える。

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