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特集

絶望のソマリア

SEPTEMBER 2009


 バーレは、建前上は氏族制度を骨抜きにし、長老から司法権限を取り上げて、社会主義政策を進めようとした。だが水面下では、一部の氏族を優遇し、氏族間の敵対感情をあおった。一方で、ソ連と米国に代わる代わるに取り入って、両国から大量の武器の供与を受けた。その後、1977~88年のエチオピアとの戦争で権力基盤が弱まり、91年にハウィエ氏族の武装組織によるクーデターで政権の座を追われることとなった。植民支配と独裁政権からやっと解放された人々は、新政権の成立と新たな時代の幕開けを待った。

 それから18年たった今も、待ち続けている。

暴力が身近にある暮らし

 1991年にハマルウェイン地区で武装勢力同士の戦闘が起きたとき、モハメドはまだ赤ん坊だった。「家の周りで4カ月も戦闘が続いたんだ。食べ物も手に入らず、みんな脅えていた」と両親に聞いた話を教えてくれた。

 ある日、隣の家が迫撃砲弾を浴びて吹き飛び、砲弾の破片がモハメドの家にも飛んできた。警察官をしていた父親は、破片を首と肋骨に受けて負傷。一家はソマリランドに一時避難した。3カ月後、モガディシオに戻ってみると、近所の建物は軒並み破壊され、自宅の屋根には大きな穴がいくつも開いていた。

 「うちの家族は何もかも失ってしまった」とモハメドは話す。負傷がもとで父親は働けなくなった。一家はサウジアラビアに住むおばからの送金を頼りに、苦しい生活に耐えた。モハメドは母親の強い希望で通学したが、あるとき親しい級友が歩行中に迫撃砲で殺されたのにショックを受け、学校を辞めて漁師になった。それが4年前のことだ。

 私が訪れる2週間前、モハメドの父親は危うくテロに巻き込まれそうになった。

 彼はその日、道路清掃を手伝って、報酬として食べ物をもらえることになっていたが、1時間ほど遅れて現場に向かうと、到着直前に爆発音が聞こえた。道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発したのだ。現場には、仲間の女性たちの遺体が転がっていた。体はばらばらに吹き飛び、顔は黒焦げになってほとんど判別がつかない。この爆発で44人の女性が病院に運ばれ、うち半数が死亡した。

 暴力への恐怖は、この街の人々の心理に深く染みついている。だが、よそ者にはなかなか実感がわかない。身近に暴力があっても、自分の身に危険が及ぶまでは、ピンと来ないのだ。

 モガディシオに着いて4日目の朝6時頃、私はものすごい爆発音で目を覚ました。階段を下り、防護壁で囲まれた中庭に出ると、ホテルの経営者が静かに揺り椅子に座り、コーヒーをすすっていた。私が席につくと、経営者はまず前夜のディナーの感想を私に尋ね、ひとしきり家族や旅の話をしてから、やっと早朝の爆発のことを話題にした。武装勢力が政府軍の兵士を迫撃砲で攻撃したが、代わりに罪のない民間人数人が死亡したという。ここでは暴力があまりに日常的なので、爆発や銃撃戦も、話のついでにちょっと触れられるだけなのだ。

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