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特集

ベネチア
霧の中の未来

AUGUST 2009


住民の流出が止まらない

 「ラ・セレニッシマ(この上なく静謐(せいひつ)な地)」と呼ばれるベネチアだが、現状はその名とはほど遠い。旅行かばんに歯ブラシと一緒にあこがれを詰めて、ガイドブック片手に押し寄せる観光客たち。住民はその波に押し出されるように、ベネチアから出ていく。この“大脱出”に拍車をかけるのは観光ブームだけではないが、今のペースで人口が減れば、住民が一人もいなくなってしまうのは時間の問題かもしれない。

 「ベネチアは実に美しい街です」。ある文化財団の理事長はそう言って胸を張る。オフィスの窓からはサン・マルコ湾が一望でき、モーターボートやゴンドラ、バポレットと呼ばれる水上バスがひっきりなしに行き交うのが見える。その向こうは、ベネチアきっての観光名所、サン・マルコ広場だ。「街全体が巨大な劇場のようです。予算さえ許せば、17世紀の邸宅を改造した使用人付きのアパートを借りて、貴族の気分を味わえますよ」

 ならば、劇場の座席に腰を落ち着け、芝居見物としゃれこもうか。この芝居ではベネチアは一人二役をこなす。市民が暮らす生活の場としてのベネチア、そして、旅行者が訪れる観光名所としてのベネチアだ。照明、舞台装置、衣装。いずれもあまりに美しく、見る者の胸に切々と迫る。だがこの芝居、筋書きはひどく混乱し、結末は予想もつかない。一つだけ確かなのは、観客の誰もが、主役であるベネチアに夢中になっているということだ。

“格安”ワンルームが3500万円

 「美とは厄介なものだ」。カッチャーリ市長は、市の政策を説明するというより、美学の大学院生相手に講義するような口調で語る。

 実はこの言葉は、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツに捧げた英国の挿絵画家オーブリー・ビアズリーの言葉を、ベネチアに埋葬された米国の詩人エズラ・パウンドが引用したもの。まるで文学の伝言ゲームのように、それをさらに市長が引用したというわけだ。大運河の曲がりくねった流れのように、物事を婉曲(えん きょく)的に表現するのがベネチア流らしい。

 63歳にして、髪を黒々と保ち、豊かなひげをたくわえた市長は、尊大にして雄弁な人物として知られるが、この日はどういうわけか機嫌が悪そうに見えた。

 私たちが会った前日、豪雨のためにメストレで洪水が起きた。原因は雨であってアクア・アルタではないと、執務室で市長は言った。「モーゼ(建設中の可動堰(かどうぜき))が完成していても、役に立たなかっただろう。私にとって高潮は問題ではない。高潮で困るのは、あなた方観光客だ」。洪水の話は、そこであっさり終わった。

 問題は別のところにあると、市長は力説する。ベネチアの街並みを維持するコストだ。「ベネト州政府から下りる予算では、すべてを賄えない。運河の浄化、建物の修復、地盤沈下対策。莫大な費用がかかる」

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