/2009年6月号

トップ > マガジン > 2009年6月号 > 特集:アラブのキリスト教徒


定期購読

ナショジオクイズ

キリン科の動物は次のうちどれ?

  • シマウマ
  • オカピ
  • トムソンガゼル

答えを見る

ナショジオとつながる



特集

アラブのキリスト教徒

JUNE 2009

文=ドン・ベルト 写真=エド・カシ

2000年近くも中東に暮らしてきた、敬虔なるキリスト教徒たち。だが近年、職を追われ、“聖地”を離れる信者が増えてきている。

アラブのキリスト教徒
キリスト教誕生の地で2000年にわたり、イエスへの信仰を守り続けてきた人たちが、この地から静かに消え去ろうとしている。

動画翻訳

信仰やアイデンティティーの力にはいつも感銘をうけ 驚かされます
ナショナル ジオグラフィック 写真家エド・カシ

アラブのキリスト教徒の特集からはまさに こうした力が感じられます
アラブのキリスト教徒

今回の特集の舞台であるレヴァントは
現在のイスラエル パレスチナレバノン シリアからなる地域です
中東に存在するキリスト教徒について多くの人は 考えたこともないと思います
アラブのキリスト教徒を取材していると言うと人々に 何度となくこう言われたものです
「アラブ人は 全員イスラム教徒ではないんですか?」

シリアからエジプトにかけての地域でかつて優勢だったキリスト教徒は
社会的 政治的 経済的な困難により減少しやがて 小さな共同体になった

エド・カシ今回の特集の撮影では 多くの難題がありました
何世紀もの間 アラブのキリスト教徒がどのように 他の人々と共存してきたのか――
ある意味では撮影をすることで分かったと言えます
アラブのキリスト教徒は
この地域で起きている主な紛争には巻き込まれていないのです
なかには パレスチナ解放運動やレバノン内戦に関わっている人もいますが
キリスト教徒の共同体の大部分はこうした日々の争いからは離れて生活しています
エルサレムの旧市街のアルメニア教会でイースターのミサが行われているところです
孫娘を連れているこの男性は教会で50年以上ピアノを演奏してきたそうです
彼をじっと見ているのはすばらしい経験でした
男性は 隣に座っている孫娘を非常に気にかけていました
きっと テレパシーのように伝統を孫娘に伝えたいと思っていたのでしょう

レバノンの首都ベイルート近郊の山上でこの隠修士に出会いました
現在70代半ばで以前は大学教授だったそうです
隠修士が行う夕べの礼拝のために
毎晩 非常に熱心な信者たちがこの教会にやってきます
かろうじて20人入れる程度の小さな部屋は集まった人々で満員になっていました
毎晩行われる隠修士の説教は信者たちに絶大な影響力があります

しかし彼は 一年の半分は小さな教会の扉を閉ざし
真の隠修士となるのです

エルサレム旧市街にあるキリスト教徒の共同体で聖金曜日を祝っているところです
彼らはかなり興奮しており
酒を飲んで勢いづいた男たちが剣を持ち 仲間の肩に乗っていました
この集団の後ろを歩いているうちに
収拾がつかなくなるのではないかという予感がしました
案の定 対抗している集団同士で乱闘が起こり私たちは避難しなくてはなりませんでした

ヨルダン川西岸地区にあるキリスト教徒の小さな村で行われた葬儀です
亡くなったのは共同体で暮らしていた年配の女性でした
人々は一種の儀式的な歌を唱えています

こうした昔ながらの共同体には
文化的にも 儀式的にもすべてを束ねるような何かがあります
宗教というよりは人々の存在を肯定する力です

聖地に住む若い世代のキリスト教徒たちは
よりよい生活のためこの地を離れることを夢見ています
中東の不安定な情勢が改善するまでは
人々が聖地を離れ他の場所へ向かう現象は止まらないでしょう

今回の特集を通じて 私が感じたのはアイデンティティーの力です
アラブのキリスト教徒は
古代から続く共同体 土地 儀式を自分たちと結びつけて考えています
そういった人々の生活に立ち会うのは本当に意義深い体験でした

 聖地エルサレムで行われる復活祭は、気の弱い人にはお勧めできない。ただでさえ騒然としたイスラエルの旧市街は、この祭日に向けてたがが外れたようになる。イエスが十字架を背負って歩いた「悲しみの道」には世界中から何万人ものキリスト教徒が押しよせ、町中の通りに人があふれかえる。

 キリスト教徒がこの町を目指すのは、ここがキリスト教発祥の地だからだ。エルサレムとその周辺に広がる岩だらけの丘陵地で、かつてイエスが歩きまわり、教えを説き、そしてはりつけの刑に処せられた。パレスチナやシリアで、誰よりも早くキリスト教徒と呼ばれ、イエスの教えを貫くために血を流したのは、ユダヤ教から改宗した人たちだけではない。そのなかにはアラブ人もたくさんいた。

 現在のシリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治区は、かつてはレヴァントと呼ばれ、紀元313年にキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌスは、レヴァントを聖地と宣言した。それ以来レヴァントには、何百もの教会や修道院が建設された。638年にイスラム教徒のアラブ人が征服してからも、この地域はずっとキリスト教が優勢だったのだ。

 レヴァントでキリスト教が力を失っていったきっかけは、皮肉にもキリスト教国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還するために派遣した十字軍(1095~1291年)だった。十字軍はイスラム教制圧が目的だったが、イスラム教諸国とキリスト教諸国の板挟みになったアラブ系のキリスト教徒も多数犠牲になった。

 今日、レヴァントで生まれ育ったキリスト教徒たちは、初期キリスト教会の荒削りな精神をそのまま保ちつづけている忘れられた世界の最後の名残だ。彼らの共同体には正教会、カトリック、プロテスタントなどのキリスト教宗派が混在し、かつては人口全体の4分の1を占めていたが、安全で豊かな暮らしを求めて、この地を離れる人は後を絶たず、過去1世紀の間にわずか8パーセントにまで減少した。

 欧米諸国に親族が多いことも彼らの移住を加速させていて、共同体の中心となるべき学歴が高く政治的に穏健派の住民ばかりが流出する結果になっている。エルサレムに暮らすアラブ系キリスト教徒は、復活祭の時期になると、長く孤独な苦難がようやく終わり、人びとがこの地に戻ってきたという幻想に襲われる。

1Next

年間購読のお申込はこちら

ナショナル ジオグラフィック バックナンバー