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特集

アラブのキリスト教徒

JUNE 2009


 1975年から90年まで、ベイルートで繰りひろげられたレバノン内戦では、マロン派キリスト教徒はイスラム教のシーア派やスンニ派、ドルーズ派、そしてパレスチナ人を相手に激烈に戦った。しかし、かつて多数派だったレバノンのキリスト教徒も、国外流出が続いた結果、その数は人口の40パーセントを切り、今日では他の中東諸国と同様に少数派に追いやられている。この事態を憂慮したマロン派指導者は方向転換を図り、勢力を拡大しつつあるイスラム教シーア派の政治組織ヒズボラや、スンニ派とドルーズ派の連合と手を組んでいる。一方で、それを良しとしないキリスト教民兵たちは地下に潜り、過激化しているのが現状だ。

内戦で蝕まれる町

 タイル工事を請け負う温和な中年男性のミラド・アサフは、マロン派の有力政党レバノン軍団(LF)の歩兵という顔も持つ。東ベイルート、弾痕だらけのアパート5階のバルコニーからはシーア派地区が見渡せる。往来の激しい大通りを挟んで、ヒズボラとその同盟組織アマルに属するシーア派民兵と、キリスト教系民兵がにらみ合っているのだ。「射撃場に住んでいるようなものだよ」とアサフは笑う。

 アサフが6歳だった1975年4月、レバノン内戦が勃発した。きっかけはキリスト教徒の一団が、パレスチナ難民を満載したバスに発砲したことだった。当時はベイルートにはパレスチナ人が多く流入し、レバノンをパレスチナ解放機構(PLO)の拠点にしようと活動していた。バス発砲事件が起きたのはアサフの自宅からわずか1ブロックのところで、等身大の聖母マリア像の目の前だった。それ以来、この場所では銃撃戦はもちろんのこと、ロケット推進式榴弾が飛びかい、イスラエル軍による空爆もあったが、マリア像には傷ひとつつかなかった。「これが奇跡でなくて何なのだ」とアサフは語気を強める。

 アサフが暮らす町では、アパートや小さな商店の外壁は弾痕だらけで、少しでも無傷の場所があれば、十字架の下端を剣のように斜めに切ったレバノン軍団の象徴のマークが描かれている。最近もシーア派との衝突のあと、アサフは仲間たちと高さ4.5メートルの木の十字架を作り、イエスの巨大なポスターを貼った板とともに舗道に立てた。さらにご丁寧なことに、夜はそれらをライトアップしている。それは大通りの向こうにいるヒズボラの戦士たちに、「ここはキリスト教徒の町だ。おまえらに用はない」と常に伝えるためなのだ。

 アサフは12歳のときにレバノン軍団に入党したが、そのころすでにいっぱしの闘士になっていた。今まで戦闘で何人殺したかわからないし、刑務所にも数えきれないほど入った。40歳になったいまも、生きるか死ぬかの戦いにたまらないほどスリルを覚える。薄くなり始めた頭髪をエルビス・プレスリーのように後ろになでつけ、軍団の大きな十字架を首から下げて、左腕には入れ墨をしている。アラブ系キリスト教徒の男たちの多くがそうであるように、アサフも鉄アレイで身体を鍛えることに余念がない。腹だけは少々出てきたものの、アルマーニのぴっちりした白いTシャツで自慢の胸板を強調する。大馬力の改造車を乗りまわし、酒を浴びるように飲み、女をもてあそんでは捨てる。

 2006年7月に起きたイスラエルとの紛争で、レバノン経済は壊滅的な打撃を受け、ヒズボラが勢力を増したせいで商売は苦しいが、アサフは他の困難と同様、この危機を乗りこえられると期待している。

 慢性的な政情不安で、レバノンの失業率は20パーセントに達し、外国からの投資はすっかり影を潜め、かつてはにぎわいを見せていた商業活動もしぼんでしまった。1週間前、私はカディーシャ渓谷沿いにあるマロン派の拠点を訪れた。崖のそばにあるブシャーレという町では、観光シーズン真っ盛りの4月、それも晴れた日曜日の午前11時だというのに、商店はがらんとしている。

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