/2009年5月号

トップ > マガジン > 2009年5月号 > 特集:北極海の資源争奪戦


定期購読

翻訳講座

記事ランキング

ナショジオクイズ

クズリというこの動物で正しいのは?

  • イタチ科
  • クマ科
  • スカンク科

答えを見る

ナショジオとつながる



特集

北極海の資源争奪戦

MAY 2009

文=マッケンジー・ファンク

大な量の原油が眠るとされる北極海。温暖化の影響で氷が解け、開発がしやすくなるにつれて、資源の争奪戦も熱を帯びてきた。

 極地探検家アルトゥール・チリンガロフのオフィスは、ロシア連邦議会下院の長い廊下の奥にあった。彼は、ロシア連邦政府が授与する最高の名誉称号「ロシア連邦英雄」の栄誉に輝いた男だ。オフィスの入り口には、船首にサメのような鋭い牙を描いた、全長150メートルの原子力砕氷船「ヤマル号」のポスターが張ってある。チリンガロフはダークスーツに身を包み、連邦英雄に与えられる金星章を胸につけて、革張りのいすに腰を下ろしていた。

 隣には、高さ1メートルの地球儀が置かれている。一見したところごく普通の地球儀だが、何かが違う。南極と北極を見やすくするために地軸を90度傾けてあり、地球が寝ころんだような格好になっていたのだ。

 モスクワは冬だった。チリンガロフが北極点の海底に到達し、ロシア国旗を立ててから3カ月がたっていた。一方的な領有宣言とも取れるこの行動は外交的な軋轢(あつ れき)を引き起こし、世界中の新聞で大きく取り上げられた。

 多忙なチリンガロフは、私がいすに座るなり本題に入った。「北極点まで7昼夜かかりました。簡単ではありませんでしたよ」

 北極点に近づいた遠征隊は、海氷の開口部を探し、深海潜水艇「ミール1号」と「ミール2号」を発進させたという。チリンガロフは先行するミール1号に乗り込んでいた。目指すは、水深4300メートル近い海底にある、本当の北極点だ。「あたりは真っ暗でした。危険なのは言うまでもありません。怖くて仕方なかったです」と、チリンガロフは振り返る。

 彼は、同僚の下院議員ウラジーミル・グルズデフとともに、潜水艇の窓から外の様子をのぞき込んだという。グルズデフは実業家でもあり、約5000万円もの費用を払って遠征隊に参加した。海底へ降下するには3時間近くかかる。海面へ戻る時も同様だ。その間に、海氷は移動してしまい、もし氷の開口部を見つけられなければ、潜水艇は海面に浮上できない。

 正午過ぎ、海底に到達したミール1号は堆(たい)積(せき)物のサンプルを採取した後、北極点に移動した。そして、ロボットアームを使って、ロシア国旗をしっかりと泥の中に突き立てたのだ。

 「なぜ国旗を立てたかって? 国家が何かを勝ち得た時は、そうするものですよ」。チリンガロフはそう言うと、北極点の氷の上には多くの国々が国旗を立てていると指摘した。南極点やエベレスト山の頂にもあるし、米国は月面にも星条旗を立てた。「北極点の海底到達は、地理学における世界最高の偉業に数えられます。そこにロシア国旗があることを、誇りに思います。それに、ほかの国が旗を立てるスペースは、まだいくらでもありますよ」

 この北極遠征はロシア政府の公的事業という見方が一般的だが、チリンガロフは民間出資のプロジェクトだったと語る。当時のウラジーミル・プーチン大統領(現首相)が彼に北極行きを命じたことはなく、むしろ当初は、北極海の潜水は危険すぎると警告したという。

 愛国心あふれるチリンガロフは、ほとんど公表されていない北極遠征の詳細について、巧みに話をはぐらかした。詳細とは、そもそも1997年にプロジェクトを発案したのは彼ではなく、3人の外国人で、チリンガロフ自身がプロジェクトに加わったのは2007年の北極点海底到達のわずか1年足らず前だったこと、そして海底土壌サンプルの採取は無駄な作業だったようで、科学的な意義は疑わしいことなどだ。

 潜水を終え、ミール1号に続いて海面へ向かって浮上を始めたミール2号は、流氷の開口部を1時間半にもわたって探しまわる羽目になった。だが、そんな武勇伝はすぐに、政治の荒波にかき消された。海上の船で待ち構えていた40人以上の記者は「ロシアが北極点の領有を主張!」と即座に報道したのだ。チリンガロフも記者会見で「北極はこれまでもずっとロシアに帰属していました」と語り、ロシア人の愛国心を意図的にあおりたてた。

1Next

年間購読のお申込はこちら

ナショナル ジオグラフィック バックナンバー