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特集

古代エジプト
男装の女王

APRIL 2009


 だが、石棺は空(から)だった。遺体はどこにあるか。そもそも残っているのだろうか。学者たちは頭を悩ませた。ハトシェプストの死後に実権を握った義理の息子トトメス3世は、王の姿をしたハトシェプストの浮き彫り(レリーフ)をほぼすべて、神殿や記念碑から削りとらせている。その最中にミイラが失われたとしても不思議ではない。

 謎の解明に向けて大きな進展があったのは2005年。エジプト考古庁長官のザヒ・ハワスが、研究チームを率いて、ハトシェプストのミイラ探しを開始した。

 調査の過程で、いわば捜査線上に浮かび上がったのが、KV60a号と呼ばれるミイラだった。王家の谷で見つかった比較的下位の死者が安置されるKV60号墓で、100年以上も前に発見されたミイラである。

 KV60a号は長い年月、棺(ひつぎ)にも入れられずに墓に放置されていた。頭巾(ず きん)も着けず、宝石も、黄金のサンダルや指サックもなく、ツタンカーメン王のミイラを飾っていたような数々の財宝もいっさいなく、うち捨てられていたのだ。

 今ではこのミイラは、エジプト博物館に2室ある「王家のミイラ室」の1室に納められ、そのケースの銘板にはアラビア語と英語で、「ハトシェプスト女王」と書かれている。その遺体はようやく、血縁者であるエジプト新王国時代のファラオたちとともに、この部屋に安置されることとなったのだ。

 後世に自分の名が語り継がれることを痛切に望んだハトシェプスト。その事跡が消し去られ、遺体が長く置き去りにされていたとは、なんとも痛ましい事実だ。

華麗なる一族の確執

 古代エジプトでも屈指の繁栄を誇った第18王朝時代にあって、ハトシェプストはとりわけ壮大な建築事業に力を注いだ。

 シナイ半島からナイル川上流域のヌビア地方まで、数々の神殿を修復し、新たに造営した。偉大な神アメンを祭った広大なカルナク神殿には、花崗(かこう)岩のオベリスク(尖塔(せんとう)型の記念碑)を4本建立した。数あるオベリスクの中でも、屈指の壮麗さを誇るものだ。

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