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特集

シナイ半島
危うい平和の中で

MARCH 2009


 ザイドは、爆発音のした国境地帯に駆けつけた。途中で、やはり非番の消防署長が自分の車の中で制服に着替えるのを目にし、さらに6人の消防士が3台の消防車で現場に向かうのに行き会った。彼らは何が起きているかもわからないまま国境を目指した。エジプト軍の兵士たちもやはり事態がのみ込めぬまま、自動小銃を手にして、国境の検問所を封鎖した。

 エジプト人とイスラエル人は、にわかに起きた国際問題の板挟みとなっていた。そして、2004年のこの晩、彼らがとった行動こそ、シナイ半島の過去と未来を象徴するものとなる。エジプト人は宿敵イスラエル人の侵入を拒んで自国の威信を守るべきかどうかの判断を迫られ、8人のイスラエルの消防士たちは、エジプト領内に踏み込んでまで消火活動をすべきかどうか、選択を迫られたのだ。

 融和の象徴 シナイ山

 シナイ半島は数千年の間、「橋」の役割を果たしてきた。アフリカとアジアを行き来する人々が通る「橋」であると同時に、人と神を結び、天上へと通じる「橋」でもあった。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の先人たちはみな、くさび形をしたこの半島の砂漠に逃げ込んだと信じられている。聖書によれば、モーセはこのシナイ半島で、燃える柴の間から神に語りかけられて召命を受け、その後の40年間、イスラエルの人々とともにシナイの砂漠をさまよったという。また幼子(おさな ご)のイエスとその家族は、ヘロデ王の怒りから逃れてきたという。そして、ローマ人に迫害された初期キリスト教の信者たちは、半島の人里離れた山中に最初の修道院を築いた。

 セント・カタリナ修道院は現役の修道院としては世界で最も古く、モーセが神から十戒を授かったとされるシナイ山の麓にある。この山は宗派や宗教の違いを超えて崇(あが)められていて、シナイ半島最大の聖地といえる。修道院を案内してくれたジャスティン神父が、聖堂や図書館などにまぎれて、敷地内に建っている建物を指さした。その屋根には、小さな三日月の飾りが掲げられている。モスクだ。

 修道院の歴史が伝えるところによれば、7世紀、イスラム教の開祖ムハンマドがシナイ半島に逃走し、ここに身を隠したという。現在、修道院ではイスラム教徒のベドウィンが働いている。一見すると矛盾しているように見えるが、そこにシナイ半島の「橋」としての一面がある、と神父は言う。

 「現在起きている紛争の多くが中近東に集中しています。しかも、この地域では数千年も前から緊張状態が続いているのです」と、神父は話した。「だからこそ、シナイ半島は重要な存在です。ここには敬虔(けい けん)なキリスト教徒もいれば、敬虔なイスラム教徒もいます。確かに、言語や宗教、文化の違いで対立も生まれますが、同時に、驚くべき融和も見られます」。神父によると、その理由は簡単だという。「誰もがシナイ山を聖なる山として崇めているからです」

 1400年ほど前、この地に身を隠したムハンマドは修道士たちと出会ったのち、「シナイ山の修道士たちと……すべてのキリスト教徒」を保護すると誓った。修道院の歴史ある図書館には、ムハンマドの手書きの誓約書が残されている。そのなかで彼は、信奉者たちにこう命じている。「旅の途中にある修道士と出会ったら、そこが山中や丘、村や人里、あるいは海上、砂漠、修道院、教会、祈祷所であろうとも、必ず手を差し伸べること」

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