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地球のいのち FEBRUARY 2009 |
![]() 文=デビッド・クアメン ダーウィンは、ガラパゴス諸島の動物から最初に着想を得て進化論を考え出した。これはよく言われることだが、果たして本当なのか?
ダーウィンの着眼
今年は ダーウィンの生誕から200年『種の起源』の出版から150年にあたります “進化の父”チャールズ・ダーウィンの生誕から今年で200年、その著作『種の起源』の刊行から150年になる。彼が生まれた1809年2月12日は、奇しくもリンカーン元米国大統領の誕生日と同じだが、リンカーンが自由という概念を発明したわけではないように、ダーウィンもまた進化というアイデアの生みの親ではない。『種の起源』に書かれているのは、進化が起きる仕組みだ。ビーグル号に乗り込んだ若き博物学者の脳裏にひらめいた進化論の芽は、今では生物学を大きく発展させ、その未来を煌々(こう こう)と照らしている。この大特集では、1部でダーウィンの「ひらめき」の源を探り、2部でダーウィンの後継者である現代の進化生物学者たちの活躍を見る。 若き日のダーウィンの大航海―1831年から36年にかけて英海軍の調査船ビーグル号に搭乗して世界を訪れた旅は、あまりにもよく知られ、もはや伝説と化している。 伝説とはこんな具合だ。博物学者としてビーグル号に乗り込んだダーウィンは、東太平洋のガラパゴス諸島を訪れ、ゾウガメや小さな鳥フィンチに出会った。ゾウガメは島ごとに違った形の甲羅(こう ら)をもっており、フィンチはそれぞれの食物に合わせたかのように独自の形のくちばしをもっていた。そしてダーウィンは、ガラパゴスでのこうした手がかりをきっかけに、自然選択(自然淘汰(とう た))による進化、つまり世代を重ねるうちに祖先の形質がしだいに変化し、多様な種が形づくられたという理論をあみ出した―。 ビーグル号の航海をめぐるこうした伝説は、必ずしも嘘(うそ)ではない。だが、事実が省略されているばかりか、混同されたり歪曲(わい きょく)されていたりすることも多い。たとえば、ガラパゴスでダーウィンが注目した鳥は、フィンチというより、少なくとも初めのうちはマネシツグミだった。集めた標本の意味も、英国の鳥類学者に調べてもらうまではわからなかった。ビーグル号の航海にしても、主な目的は南米の海岸線の測量であって、ガラパゴス諸島には航海の終盤に予定を変更して少しの間滞在したにすぎない。 そもそもダーウィンは、博物学者として船に乗り組んだわけではなかった。当時22歳、ケンブリッジ大学を卒業し、気の進まぬまま聖職者の道をたどりつつあった彼は、船長の話し相手として航海に招かれたのである。停泊先でフィールド調査を重ねるうちに、一人前の博物学者に成長したが、理論の形成にはその後も長い年月を要した。 |