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北極探検
二つの物語

JANUARY 2009


 1888年、ナンセンが率いる探検隊が初めてグリーンランド横断に成功した。しかし、ノルウェーに戻るための最後の定期船に乗り遅れたため、その冬をグリーンランドで過ごすこととなり、先住民であるエスキモーとともに暮らし、アザラシを狩ったりカヤックの漕ぎ方を学んだ。ナンセンはこの体験を基にして、グリーンランド横断記を著し、エスキモーの暮らしを生き生きと描いた。帰還したナンセンは、横断に使用したスキーをスポーツとして広めていった。現在、オスロのホルメンコレン・スキー博物館には、毛皮をまとったナンセンが、ノルウェーの国民的スポーツとなったスキーの創始者の一人として紹介されている。

 ナンセンはさまざまな分野で多くの業績を残したが、その生涯をドラマチックに彩っているのは、1893年から96年にかけて敢行した、フラム号による壮絶な北極探検だ。英国の王立地理学協会をはじめ、当時の極地研究者たちは、あまりに無謀な計画を自殺行為だと考えた。それでもナンセンは、北極海に向けて出航し、自ら進んで流氷に閉じ込められることになる。

流氷に乗って北極点へ

 ナンセンには、悲惨な結末に終わった過去の探検を参考にして、新たな可能性を模索したいという思いがあった。1879年にシベリア沖で氷に閉じ込められたジャネット号の遭難事件だ。この米国の探検船はそのまま21カ月にわたり漂流したが、やがて氷の圧力でつぶされ、1881年6月13日、海に沈んだ。そして3年後、船の遺留品が、沈没現場から西に数千キロも離れたグリーンランドに漂着した。

 遺留品に関する記事を読んだナンセンは、北極海を東から西に向かって流れる強い潮流に乗れば、北極点に到達できるか、少なくとも近くを通過できるのではないかと考えた。こうして北極探検の構想が芽生えたのだ。「実に奇抜な考えでした」と、ナンセンの伝記を書いたローランド・ハントフォードは語る。「自然の力に着目して、それに逆らうのではなく、利用しようとしたわけです」

 計画を成功させるには、ジャネット号よりもはるかに頑丈な船が必要だった。そして1891年、ナンセンはコリン・アーチャーという造船技師を雇い、十分な強度を備えた船を造るように依頼した。アーチャーが設計した船体は、一般的な洋式船舶と比べて、奇妙なほど丸みを帯びていた。また、貨物を積み込む船倉は頑丈な木材で補強されていたし、氷の圧力によって壊されないように、舵とスクリューが水中から船内に引き上げられるような構造になっていた。

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