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特集

ヘロデ王
波瀾万丈の生涯

DECEMBER 2008


 ヒュルカノス2世の顧問でもあったヘロデの父親は有能な武将で、ローマ軍と足並みをそろえてアリストブロス2世を追放し、ヒュルカノス2世をユダヤ王に即位させた。

 こうした環境で育ったヘロデは、ローマと協調するメリットを幼い頃から理解していた。ヘロデが王に即位できたのはローマ人のおかげであり、在位中にいちばん心を砕いたのは、ローマからの要求と、政治的・宗教的な独立を守ろうとするユダヤの民の間に折りあいをつけることだった。だが、この態度がユダヤ人の目には裏切りと映ったようだ。

 母親はアラブ人で、父親はユダヤの南のイドマヤ出身というヘロデの出自を考えると、この微妙なバランスを保つのはかなり難しかっただろう。ハスモン家の王は代々エルサレムで大祭司を務めてきた。だが、ヘロデはユダヤ人として育てられたものの、大祭司にふさわしい名家の出ではなかった。ヘロデの伝記を書いたユダヤの軍人で貴族のフラウィウス・ヨセフスによると、配下のユダヤ人の多くは、ヘロデのことを「半ユダヤ人」としてよそ者扱いし、ハスモン家の復権をねらっていたという。

 紀元前43年、ヘロデの父親がハスモン家の手先に毒殺され、その3年後にはパルティアが突然ユダヤを侵略する。当時の王、ヒュルカノス2世は、パルティアと手を組んだハスモン家の一派に耳を切り落とされ、王位を追われた。そして次の標的となったのが、ヘロデだった。

 この危機に際してヘロデは、ローマ人に助けを求めた。暗闇に乗じて家族ともどもエルサレムを脱出し、捨て身の戦いでパルティアとハスモン家の連合軍を破る(その戦場跡に、のちにヘロディウムがつくられることになる)。ローマ元老院は、その変わらぬ忠誠心を高く評価して、ヘロデをユダヤの王に任命した。

 元老院から出てきたヘロデは、ローマで最も有力な二人と腕を組んでいた。将軍マルクス・アントニウスと、のちに初代ローマ皇帝カエサル・アウグストゥスとなるオクタウィアヌスだ。不安定な王位を維持するためならば、ローマにどんな便宜を図ることもいとわない。ヘロデはその意志を示そうと、カピトリウムの丘に立つユピテル神殿を訪れ、異教であるローマの神々にいけにえを捧げたのだった。

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