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見えはじめた DECEMBER 2008 |
![]() 文=ジョン・アップダイク 地球から8000万キロの彼方にある火星。NASA(米航空宇宙局)の最新の探査で、その素顔が明らかになりつつある。米国を代表する作家による寄稿。
見えはじめた火星の素顔
見えはじめた火星の素顔 火星は、古くから人間の想像力をかきたててきた。地上から見ると、天空を不規則に移動するように見えるこの赤い星を、古代人は凶事や暴力の象徴と考えた。ギリシャ人は火星を軍神アレスとみなし、バビロニア人は冥界の王にちなんでネルガルと名付けた。古代中国人はこの星を榮惑(燃える星 (榮の下は火))と呼んだ。1543年に天文学者コペルニクスが地動説を唱えたのちも、火星の特異な軌道の謎は解明されなかった。 1609年、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが、惑星の軌道は円ではなく、それぞれが太陽を中心に楕円を描きながら公転していることを突きとめて、この謎を解き明かした。ちょうどこの年、イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイが、史上初めて、天体望遠鏡を使って火星を観察したのだった。 17世紀半ばには、天体望遠鏡の性能が向上し、季節によって拡大と後退を繰り返す、ドライアイスでできた極冠や、浅い海と考えられた、黒ずんだ大シルティス平原などが観測できるようになった。イタリアの天文学者ジョバンニ・カッシーニは特徴的な地形を観測して、火星の自転周期が地球の自転周期24時間よりも40分長いと導き出した。彼の計算は、実際の自転周期と3分しか狂いがない正確なものだった。 その後、天体望遠鏡がさらなる進歩を遂げると、火星の精細な地図が作成されるようになる。海や沼地のような地形が確認され、そこでは季節ごとの極冠の消長とともに、植物らしきものが現れては消えた。とりわけ熱心に火星の地図を作成した一人が、19世紀のイタリアの天文学者ジョバンニ・スキヤパレーリだった。彼は海や湖と思われる部分を結ぶ水路のようなものを、イタリア語で「カナーレ」と呼んだ。この単語には、「海峡」という意味もあるが、英語では、人工物を指す「運河」という言葉が当てられ、人々の想像力をかきたてた。 |