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特集

ダーウィンに
なれなかった男

DECEMBER 2008


 言うまでもなく、新たな発見ではなかった。それはダーウィンが20年も温め続けてきたアイデアだった。だが、調査を続け、自分の論理に磨きをかける一方、他の研究に時間をとられたり、発表をためらったこともあって、ダーウィンは論文なり著作なりの形でこのアイデアを世に問うてはいなかった。そのため、このアイデアが自分のものであることを証明する材料は持ち合わせていなかった。

 ウォレスの論文が、ダーウィンの未発表の論考とともに、リンネ協会で共同の研究発表として読み上げられた1858年7月のある夜、ウォレスは蒸し暑さと飢えと高熱に苦しみながら、ニューギニア島の沿岸部に足止めされていた。こうした形で発表することについては、ウォレスにはなんの相談もなかったが、その知らせを聞いたときには、彼は喜び、光栄に思った。

 翌1859年11月にダーウィンが『種の起源』を刊行したとき、ウォレスはまだマレー諸島にいた。ダーウィンはウォレスに遅れまいと、急いでこの本を書き上げたのである。ウォレスは、ダーウィンから献本として送られてきたこの本を何度も読み返し、そのたびに断片的なアイデアをみごとにまとめあげたダーウィンの手際に感服し、尊敬の念を深くした。

 ウォレスは友人に宛てた手紙にこうつづっている。「ダーウィン氏は、世界に新たな科学をもたらした。私の考えでは、彼の名前は古今のあらゆる哲学者の上に置かれるべきだ」

 ダーウィンの名前がすべての哲学者の上に置かれるとすれば、進化論の提唱者としても、ウォレスの上に置かれることになる。実際、そうなった。だが、ウォレスは自分の置かれた立場に満足し、不満をもらすことはなかった。

 『種の起源』が刊行されたころ、ウォレスはもう一つの論文を学術誌に掲載してもらおうと、ロンドンに送っていた。タイトルは「マレー諸島の動物地理学について」。この論文で彼は、自身の観察をもとに、マレー諸島のアジア側とオーストラリア側では、動物の分布がはっきり異なるという事実を報告した。

 ボルネオ島とセレベス島の間から、南のバリ島とロンボク島の間へ線を引くと、線の西側には霊長類、食肉類、食虫類、キジ類、キヌバネドリ、ヒヨドリなど、アジアの動物が生息し、東側には大型のオウム、ヒインコ、ヒクイドリ、ツカツクリといった鳥や、クスクスなどの有袋類がすむ。この二つの地域は、気候も生息場所の条件も似通っているのに、そこに生息する動物群ははっきりと異なっているのだ。

 「このような事実は、地球の表面に大きな変化があったことを大胆に受け入れなければ、説明できない」と、ウォレスは書いている。彼が言いたかったのは、神の気まぐれで今のように動物が配置されたわけではなく、歴史、進化、動物の移動、地質学的な変動によって、現在のような分布になったということである。

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