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特集

地球の悲鳴
ボルネオ島
迫りくる決断の時

NOVEMBER 2008


ボルネオの“略奪”の歴史

 北は南シナ海、南はジャワ海に面し、島の中央を赤道が横切るボルネオ島。天然資源に恵まれたこの島には、遠い昔から世界中の商人たちが集まり、ときには収奪とも言えるほど、豊かな自然の恵みをほしいままにしてきた。

 まず乗り込んできたのは中国人の商人たち。漢方薬の原料となるサイの角と、現地語でガハルと呼ばれる香木、スープの材料になるツバメの巣を目当てにやってきた。その後、コショウと金鉱に目をつけたイスラム教徒とポルトガル人の商人が加わった。

 英国とオランダの植民地となった19世紀から20世紀初めには、木材会社が熱帯の広葉樹林を伐採し始めた。現在のボルネオ島は、島の南4分の3ほどがインドネシア領で、ブルネイが占める小さな一角を除いて、残りはマレーシア領である。第二次世界大戦後にかつてのオランダ領と英国領が別々に独立したため、このような国境線が引かれることとなった。

 ここ数十年は、欧米やオーストラリアの企業が、豊富な石油と天然ガス、石炭を採掘している。ボルネオ島で一山当てた人々は、アムステルダムからメルボルン、シンガポールからヒューストンまで世界各地に大邸宅を建てた。“ボルネオ御殿”は、インドネシアの首都ジャカルタとマレーシアの首都クアラルンプールにもある。島の資源を最も貪欲(どん よく)に奪ってきたのは、インドネシアとマレーシア、いや、少なくともこの2国の政財界のエリートたちなのだ。

 ボルネオ島の豊かな自然に魅せられたのは、何も商人や企業だけではない。19世紀英国の生物学者、アルフレッド・ラッセル・ウォレスもその一人だ。1850年代半ばにこの島に滞在し、1000を超す新種の動植物の標本を採取した。

 2500種以上のランを含め、1万5000種以上もの多様な植物が育つボルネオ島には、“世界一”の称号をもつ動植物も多い。世界最大の花を咲かせるラフレシア・アーノルディをはじめ、世界最大のランや食虫植物が育ち、世界で一番大きなガが飛び回る。さらに、木から木へと滑空する動物の多様さも世界一で、数種のムササビとモモンガ、ヒヨケザル、トビトカゲ、トビガエルのほか、空飛ぶヘビまでいる。

 哺乳類に目を向けると、マレーグマとボルネオウンピョウが森をうろつき、テナガザル2種とほかのサル8種が木々に登る。島の北東部、主にキナバタンガン川がスールー海に注ぐあたりには、約1000頭のゾウが生き残っている。スマトラサイはかろうじて絶滅を免れているものの、生息数は40頭前後まで減った。

 こうした多様な生き物たちの中でも、とりわけ人々を引きつけ、ボルネオ島のシンボルとなっているのは、オランウータンだ。そのつぶらな瞳は、世界中の自然保護団体の会報や募金集めのポスターに登場する。このオランウータンやサイから、まだ発見されていない小さな昆虫にいたるまで、島の比類ない生物多様性と、森林が失われていくペースを考えれば、ボルネオの未来を守ることこそ、地球上で最も差し迫った自然保護の課題だと言ってもいい。

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