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特集

地球の悲鳴
食を支える土壌を救え

SEPTEMBER 2008


黄土高原の惨状

 昨年の秋、中国中部の村にある段々畑を訪れたとき、かたい土に四苦八苦しながら、シャベルで畑の崩れた部分を直している農民に会った。その男、張六包は、かれこれ40年以上も、雨が降るたびにこの作業を繰り返してきた。

 張は1960年代に、農業研修で山西省の大寨に送り込まれた。大寨のある黄土高原は、「黄土」と呼ばれる分厚いシルト層に覆われている。西の砂漠から風に運ばれてきた砂塵がその正体で、何千年もの間に、最大で数百メートルも降り積もった。日本の1.5倍以上の広さがある黄土高原からは、雨が降ると黄土が黄河に流れ込む。長年の自然の浸食作用に、大寨方式の農業開発が拍車をかけ、世界最悪とも言える土壌流出が人々を苦しめてきた。

 1963年、大寨では洪水で大きな被害が出た。このとき、村の共産党書記は国の援助を断って、より生産性の高い新たな村づくりをめざした。収穫量はみごと急増。中央政府は大寨に習えと、視察団を派遣した。彼らが目にしたのは、丘の頂からふもとまで、鋤を振るって段々畑を築き、休み時間には毛沢東語録を開いて革命思想を学ぶ、農民たちの姿だった。

 毛沢東は喜び、何千人もの農民の代表をバスで大寨に送り込んだ。張もその一人だ。そこで学んだのは、地面という地面に穀物を植えろという教えだった。当時の中国ではこんなスローガンが叫ばれていた。山を動かし、谷を埋め、平野をつくれ! 農業は大寨に学べ!

 張は大いに刺激を受けて、故郷の嘴頭村に戻った。貧しい村では、満足に食べられるのはせいぜい年に1、2回。張の指示で、村人は丘の斜面に段々畑を築いて、雑穀を育てた。絶えず飢えにさいなまれながらも、日中だけでなく、明かりを灯して夜まで働いた。最終的に村の耕地は、2割ほど増えたという。

 だが、これがひどい悪循環を生んだ。そう話すのは、長年中国の環境を調べてきたカナダ・マニトバ大学の地理学者、バーツラフ・スミルだ。表面を泥で固めただけの段々畑は崩れやすく、絶えず補修に追われることになる。雨にあえば、土の中の養分や有機分が流されてしまう。収量は、当初は増えたものの、その後は減る一方。収量を維持しようと必死で開墾を進めたが、畑は築くそばから崩れていった。

 見切りをつけた農民が次々に村を去り、やがて村の人口は半減した。スミルは、黄土高原の開墾を「人類史上まれに見る壮大な愚挙」と呼ぶ。「誰が見ても愚かしいと思う事業に、数千万人が日夜駆り出されたんです」

 1981年、中国政府は政策を転換し、11歳以上の国民に「年間3~5本の木を植えること」を義務づけた。さらに、黄土高原の未開地も含め、華北、東北、西北の3地区で約4500キロにわたって防護林をめぐらすという、環境事業としては世界最大級の「三北防護林」プロジェクトに着手した。この“緑の長城”は2050年に完成予定で、乾燥と砂嵐の防止に威力を発揮する見込みだ。

 こうした事業は野心的な試みだが、土壌の劣化に直接対処するものではない。正面から解決に取り組むのは、毛沢東の過ちを認めることになるので、政治的に抵抗があったのだ。ここ10年で中国政府は重い腰を上げ、大寨の西にある村、高西溝の取り組みに目を向け始めた。

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