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アフガニスタン
輝ける至宝

JUNE 2008

 文化遺産を修復するとはどういうことか、マスーディが博物館のロビーで実例を見せてくれた。展示ケースの中に、等身大の菩薩立像がある。アフガニスタンが仏教国だった紀元3世紀ごろに作られたものだ。この素焼きの像はタリバンの手で粉々に破壊されたが、博物館の修復担当者たちが破片を一つひとつつなぎ合わせ、最近になってようやく復元が完了した。

 「修復が終わった遺物は、一つずつ公開していきます。この作業はこの先何年もかかるでしょう」と、マスーディは言う。ただし、マスーディたちが隠していた最も貴重な収蔵品は、当分の間カブールで公開されることはない。博物館には、まだ十分な警備システムがなく、スタッフの数も不足しているし、周辺地域で頻発する自爆テロは博物館にとって脅威なのだ。

 そこで、こうした古代の秘宝を集めた壮麗な巡回展が国外で開催されることになった。ナショナル ジオグラフィック協会は収蔵品の目録作りと巡回展の企画協力をアフガニスタン政府から依頼された。関係者たちは、貴重な文化遺産を国外に運び出すことで、破壊や盗難から守ると同時に、展覧会を通じて国家のイメージを向上させたいと願っている。近年のアフガニスタンは、「不寛容で孤立した国」という印象が強い。だが、かつてはシルクロードの要衝として、多様な文化が融合した芸術が花開いた場所だったのだ。展覧会は、古代アフガニスタンにみられた開放的で国際色豊かな精神を、世界の人々に知ってもらうきっかけになるはずだと、マスーディは考えている。

 カブールやマザーリ・シャリーフのバザールを歩けば、アフガニスタンが2000年以上にわたって「アジアの十字路」と呼ばれてきた理由がわかる。行き交う人々の顔立ちがそれを物語っているのだ。ギリシャ人のような顔があるかと思えば、アラビア人のような顔もある。インド人や中国人、さらには東ヨーロッパ人を思わせる顔まで実に様々だ。侵略と交流が繰り返された結果、民族のモザイクが出来上がった。

 古代都市ベグラムは、第一級の文化財が多数出土した場所だ。現在、草深い一帯にはソ連占領時代の地雷が散らばり、近くの航空基地から飛び立つ米軍の戦闘機が頭上で轟音を響かせている。だが2000年前、ここはインド北部まで勢力を伸ばしていた強大なクシャーナ朝の華やかな夏の都で、商人によって象牙や美術品がアジア全土から集められていた。

 1930年代後半、ベグラムの発掘を開始したフランス人考古学者たちは、高級な品々が納められた保管庫を見つけた。クシャーナ朝が交易によって繁栄していたことを物語る発見だった。イタリアのブロンズ像、中国の漆箱、筋骨たくましいギリシャの若者を描いた石膏製メダルなどが出土した。 

 出土品の中には、アレクサンドリアの灯台やアフリカでのヒョウ狩りの様子を描いたエジプトのガラス器もあったが、調査隊を最も驚かせたのは1000体を超す象牙や骨の彫刻だった。穏やかに微笑んだ女性像や、インド美術の影響を感じさせる川にすむ怪物が彫られていた。

 紀元200年ごろ、こうした多様な美術品や工芸品を何者かが二つの部屋に運び入れ、周囲をレンガで密封したと考えられる。発見当初、豪華な出土品に驚いた考古学者たちは、この遺跡は王族の邸宅跡だろうと推定したが、現在では、シルクロード経由でアジア各地に運んだり、地元の有力者に売り込むために高級品を保管した倉庫だったと考えられている。

 ベグラムと同じように、アフガニスタン北西部にあるティリヤ・テペ遺跡でも、貴重な文化財が多数見つかっている。「黄金の丘」という名をもつこの遺跡で最も有名な発見が「バクトリアの黄金」だ。1970年代にロシア人考古学者ヴィクトール・サリアニディによって発掘された黄金製の遺物からは、アフガニスタンがたどった特異な歴史がうかがえる。紀元前後、中央アジアの草原地帯にいた遊牧民がアム・ダリヤ川を渡って南下し、独自の文明を築き上げた。

 その芸術には、東方と西方、遊牧民と定住民の要素が混ざり合っていた。ブドウのつるを口にくわえて踊るクマの姿を彫った短剣の柄など、シベリアの動物を題材にしたものがある一方、ギリシャとインドの影響を色濃く残す女神アフロディテの黄金像もある。この像はギリシャのアフロディテ像のような翼をもち、同時にインド風の丸い印を額につけているのだ。また、高貴な遊牧民が身につけた頭飾りの一部だった黄金の雄羊像など、西方の自然主義を強く連想させる遺物も多い。

 アフガニスタンでは、考古学の発掘調査が再開されつつある。今後、新たな発見がなされ、この国の歴史がさらに解明されると期待がもたれている。これまでの発掘調査は欧米人が主役だったが、現在はアフガニスタンの考古学者が調査を率いることも多い。

 カブール郊外の急峻な丘に、紀元400年ごろの仏教遺跡テペ・マランジャンがある。保存状態が良いこの遺跡で、アフガニスタン人の研究者たちは、16体の素焼きの菩薩像が円を描くように並べられているのを発見した。しかし、残っていたのは足と衣の下の部分だけで、中央にあったはずの仏陀像はなくなっていた。おそらく、建立されて数百年後に侵入したイスラム教徒によって破壊されたのだろう。かつて僧侶たちが祈りを捧げていた高さ6メートルを誇る仏陀の立像も、今では裸足の足が残るのみだ。「この遺跡がタリバン政権時代に発見されていたら、おそらく破壊されていたでしょう」と、考古学者のナジブ・セデキは話した。

 現在、あらゆる時代の遺跡が発掘されつつあるが、一方で大きな課題が解決されないままだ。頻発する犯罪や略奪行為、それに、反政府勢力となったタリバンの脅威は、産声を上げつつあるアフガニスタンの文化復興をいつ押しつぶしても不思議ではない。ティリヤ・テペでは、高値で売れそうな遺物や建築用材を手に入れようと、村人たちが「黄金の丘」を掘りつくした。また、アレクサンドロス大王がアム・ダリヤ河畔に築いた古代都市アイ・ハヌムの遺跡では、浴場やヘレニズム時代の文字など、古代ギリシャ文化の存在を示す遺物や遺構が見つかったが、内戦終結で職を失った民兵たちによる盗掘が繰り返され、今では穴だらけの無残な光景になってしまった。ベグラムでも、工夫をこらした道具を使って盗掘が行われている。

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