/2008年5月号

トップ > マガジン > 2008年5月号 > 特集:貴州省の“隠れ里” トン族の暮らし


定期購読

ナショジオクイズ

Q:写真は高地に生息するユキヒョウですが、ある部分が比率的に大型ネコ科動物で最長です。その部分とは?

答えを見る

ナショジオとつながる



特集

貴州省の“隠れ里”
トン族の暮らし

MAY 2008


 変化のペースは日を追うごとに速くなるようだ。2006年にはへき地でも携帯電話が使えるようになり、2007年になると、ほとんど誰もが携帯電話を持つようになった。ほかの州で働く若者は故郷にいる恋人とメールで連絡をとりあうようになった。地捫村に戸籍を置く住民2372人のうち、約1200人がよその土地で働いている。成功した人も少なくない。出稼ぎに出た村人の多くが月2万円以上も稼ぐようになった。工場で働く人々の収入はその半分以下だろうが、それでも村で稼げる金額よりもずっと多い。だが彼らは、いつも歌声や蝉しぐれが聞こえ、春には果物が実り、美しい山並みにひっそりと抱かれた村の暮らしをなつかしむ。

歌で村の歴史を伝える

 地捫村の人たちはほぼ毎日のように歌を歌う。学校では、生徒たちが姿勢よく席につき、教師が歌って聞かせた歌を完璧なリズムで繰り返す。週末には、ジーンズにピンクの服を着た年長の少女たちが、教師の前に並んでテンポの速い歌を次々と合唱し、代わる代わる独唱する。皆から敬意を込めて「ザー」と呼ばれている、二人の年配の女性が、孫たちに簡単なコーラスを繰り返させている。

 一人、青い目をしたザーがいて、「地捫村は、これまで何度も外敵に侵略されてきました」と、話してくれた。「1920年、中国人の軍閥の支配者が、当時16歳だった私の母の姉を連れ去り、9人目のめかけにしました。彼女のその後の消息は誰も知りません」。このザーから、目がかすんでしかたないので目薬をもらえないかと言われて、私は彼女の青い目が白内障のせいだと気づいた。

 この老女は、地捫村の歴史を伝える、全部で120節からなる叙事詩のような歌を暗誦できる唯一の人物だった。繰り返しの多い、哀愁を帯びたその曲は、歌い終えるまでに数時間もかかる。この歌によれば、地捫村に暮らすトン族の祖先は、最初、服をまとっていなかったという。子孫たちは外部からの侵略に遭い、地捫村に逃れてきた。「ああ、あの退屈な歌の話ね」。後で十代の少女たちは私にそう語った。

 青い目のザーは74歳になるが、私の二倍もの薪を運べる。岩の上も平気で駆け抜けていく。息を切らす私を尻目に、さっさと山の斜面を登っていく。だが彼女が亡くなったら、村の歴史を伝える歌はどうなるのだろう。口承でしか残せないトン族の歴史は、引き継ぐものがいなければ、あっという間に失われるかもしれない。

 肌寒い4月の明け方、寝たきりの老人が、暖をとるために火のついた炭を入れておいた火鉢の上に掛布団を落としてしまった。村人は「熱い!」という老人の叫びを聞いたという。その夜は風が強く、火は風にあおられて燃え広がった。村人は靴もはかずに家から飛び出し、わが家に火が燃え移るのを目にした。村の消防団が通報を受けて駆けつけ、鼓楼の隣にある消火栓にホースを取り付けた。だが水道管が壊れていて、水は一滴も出なかった。鼓楼も燃えて、火に包まれた。

 夜明けまでに、鼓楼と民家60軒が燃え尽きた。火災の被害に遭った家屋は、両側の壁が焼け焦げたものから板塀を失ったものまで、44軒に達した。家を壊して延焼を防いだため、村の残りの家々は焼失を免れた。死亡したのは火元の家の老人だけで、隣人の話では、胴体だけが焼け残っていたという。辺りには、焦げた木材や焼けた穀物、丸焼きになったブタの臭いが何日も漂った。

 あるザーは道端に座り、道の反対側の廃墟と化したわが家を前にしてこう語った。「孫娘に銀貨をあげるつもりだったの。でもすべてをなくしてしまったわ」。彼女は、火が今も目の前でごうごうと燃えているかのように両手を上げた。「何も食べず、四日間泣き暮らしました。役人が到着すると、まず私のところにやって来たわ。一番大声で泣いていたからね」

Back3Next


ナショナル ジオグラフィック バックナンバー