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特集

貴州省の“隠れ里”
トン族の暮らし

MAY 2008

文=エイミー・タン 写真=リン・ジョンソン

州省に千年以上も暮らすトン族は文字をもたず、歌で伝承や歴史を伝える。この少数民族の貴重な伝統と風習は近代化の波にのみ込まれつつある。

トン族の暮らし
貴州省に暮らす少数民族トン族の伝統的な歌と風習を、スライドショーで紹介する。

動画翻訳

トン族の暮らし 中国貴州省のディーメン村貴州省は中国で最も貧しい省の一つです
湖南省や雲南省と隣り合う貴州省は非常に山の多い土地です
ディーメン村には中国の少数民族 トン族が暮らしています
トン族は 主に農業を営む民族で500~700年前 この地方に定住しました
ディーメン村は600年の歴史を誇る村です

ディーメン村の人口は約2000人多くの若者は 村の外へ働きに出ています
村に残った老人たちは畑を耕し 孫の世話をします
村の小学校です子供たちは10代後半になると村を出ます
都市部や工業地域へ出て行った彼らは
村に 新しい考えと共に大きな混乱を持ち込みました

中国では 様々な伝統が崩れつつあります
村の生活とはかけ離れた都会の文化がテレビを通して 各家庭に入り込んでいます
また 道路が整備されたことにより大勢の人が村を訪れるようになりました
通りすがりの観光客や村人の友人たちなどです
こうした人々がもたらすものはすべて
村の価値観や文化に影響を与えているのです

先祖を埋葬している墓地は家々のすぐそばにあり
祝い事があると村人たちは墓参りに行きます
先祖を敬う気持ちの表れですね小さな社会では 非常に重要な行為です
ごちそうを先祖と共に楽しむという意味合いもあります

村人たちの財産は 伝統だけです
伝統を守り続けるのかそれとも 昔ながらの風習は捨てるのか
トン族の村 少なくとも ディーメン村は
二つの道の間で 絶えず揺れています
ディーメン村は美しい場所です長年 周囲の交通の便が悪かったため
多くの伝統的な技術や風習が外部からの影響を受けずに残っています
1980年代以降 中国の発展と共に村の生活も激変しましたが
この土地には 今もなお特別な力が備わっているようです

 村への入り口を示す、高くて立派な門にたどり着いたとき、日はすでに暮れかかっていたが、辺りにはまだ昼の熱気が残っていた。土がむきだしの山道を登りきると、収穫の時期を迎えた谷あいの眺めが目の前に広がった。あちこちの山腹に、穂が実った棚田が連なっている。

 突然、10歳ほどの少女が二人こちらに駆けよってきて、左右から私の腕をとると、きびきびしたリズムで歓迎の歌を口ずさみながら板石敷きの小道を一緒に歩き、3階建ての木造家屋が迷路のように立ち並ぶ村の中へと案内してくれた。家の軒先から、頭にターバンのような布を巻いた老女たちがこちらを眺めていた。しわだらけの老人たちは、毛沢東がかぶっていたような古めかしい帽子を頭にのせ、パイプをくわえたままこちらを見上げた。

 何人もの子供たちが私たちの後についてきた。私は少女たちに案内され、柱と屋根だけでできた穀物小屋の前を次々と通りすぎていった。何軒かの小屋のかたわらには、凝った装飾を施した飾り棚のようなものがいくつか並んでいる。これらの箱は、死者をあの世に運ぶための、特注品の棺だ。村の人々は子供が生まれると、その子がいずれ埋葬されるときに備えて木を選び、その木を使ってこうした棺をつくらせる。

 私がたどり着いたのは貴州省の緑豊かな山間にある地捫という村だ。ここには少数民族のトン族に属する5部族、528世帯が暮らしている。ここは貧しい、ひなびた土地だ。厳しい干ばつが2年続いた後、この地方は洪水に見舞われた。私が訪れた年の収穫期は、ことのほか暑かった。知り合ったばかりのトン族の友人の一人が、「平坦な土地は3フィート(約1メートル)と続かず、雨の降らない日は三日ともたず、どの家も蓄えは銀貨3枚もない」と、この村を表す昔からの言葉を教えてくれた。

 トン族が話すカムという言語体系は文字を持たない。民族の伝承や、1000年にも及ぶ神秘的な歴史は「歌」として記録している。トン族に歌を1曲披露してほしいと頼むと、男女を問わず誰もがたちまち歌いだすと、この土地を訪れる前に聞いていた。

 実際、私はこの土地でさまざまな歌を聞いた。訪問者を歓迎する歌や、侵略者を追い払った物語を伝える歌、老いの哀しみをうたった歌、気ままな恋人たちを題材にしたトン族お気に入りの歌もある。また、1950年代にさかんに歌われた中国共産党の党歌「東方紅」も、ある老女が繰り返し口ずさんでいた。

 村のはずれで、私たちは屋根に覆われた橋に到着した。この橋は、年収が1万円程度にしかならない米作農家が暮らす寒村には不釣り合いな、実に美しい構造物だ。竜のように堂々としていて、うろこのような瓦を載せた屋根が、頭と背に見立てた橋と小塔を覆っている。
この村にはこうした橋がいくつも架かっていて、その優美さのゆえに「花橋」と呼ばれたり、雨や風をしのげることから「風雨橋」などと呼ばれたりしている。橋の両側には長いベンチがあり、年寄りたちが憩う。ここは子供たちが遊ぶにはうってつけの場所になっていて、空模様があやしくなったときには大工の仕事場にもなる。

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