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存続か廃止か APRIL 2008 |
![]() 文=カルビン・トリリン 写真=エイミー・ビターリ 今も6000台の人力車が走るインドのコルカタ(旧カルカッタ)。州や市は近代化の妨げになると廃止を宣言したが、存続を願う声もやまない。
コルカタの人力車
「コルカタの人力車」特集を担当した写真家のエイミー・ビターリです 自家用車やタクシー、バスやオート三輪、自転車タクシー。 これらがひしめくインド東部、西ベンガル州の州都コルカタ(旧カルカッタ)で、運転手のやるべきことはいたって単純。クラクションを鳴らしながら、がむしゃらに前に進むのだ。停止標識なんてほとんど見当たらない。「交通規則を守ろう」と、でかでかと書かれた看板は、旅行者の目にはブラックユーモアにしか見えない。大通りを安全に渡るには、できるだけ多くの歩行者にくっついていくことだ。それならタクシーもおいそれとは突っ込んでこないだろう。けたたましいクラクションが鳴り響き、タクシーか小型トラックが、自転車しか通れないような路地から急に飛び出してくる。 そんな喧騒のなか、不意にクラクションの音が途切れると、背後からチリンチリンという鈴の音が聞こえてくる。見えてくるのは人力車だ。車を引くのはたいてい、骨と皮ばかりにやせこけたはだしの男で、力仕事にはとても向いていそうもない。車夫が絶え間なく鳴らす鈴の音は、コルカタのどんな乗り物が出す音よりもやわらかく響く。 人口1500万人を抱えるコルカタは、今なお多くの人力車が走る唯一の大都市だと言われる。だが、市当局はそれを誇るべきこととは考えていない。人力車の車夫は貧しい人々の職業なので、コルカタで貧困や病に苦しむ人々に尽くし、1997年に亡くなったマザー・テレサの活動を否定することになりかねないからだ。コルカタのある政治家は、この町は三つのMで有名だという。マルクス主義(西ベンガル州は1977年からずっと共産党政権だ)、ミシュティ(ベンガル名物の甘いヨーグルト)、そしてマザー・テレサだ。彼女の功績は同時に、コルカタは不潔だという印象を欧米人に植えつけてしまった。コルカタの人々が、ムンバイ(旧ボンベイ)のスラム街のほうが大きいとか、コルカタほど知的かつ文化的に豊かな都市はインドに他にないなどといくら反論しても、それは変わらない。 もっとも、どんなにコルカタびいきの人でも、マザー・テレサの活動が世界に知られるずっと前から、インド独立後の60年間、コルカタがひどく厳しい状況にあったことは認めざるを得ないだろう。1947年にインドとパキスタンが英国から分離独立した後、コルカタには東パキスタン(現在のバングラデシュ)から数百万人もの難民が流入した。 さらに1970~80年代にも、コルカタは難民の重圧で出口の見えない状況が続いた。1971年の第三次インド=パキスタン戦争で、またも大量の難民がバングラデシュから流入。停電や雇用不安が頻発し、企業はコルカタから逃げ出し、極左武装勢力のナクサライトによる激しい暴力事件が相次いだ。ナクサライトは1960年代末、西ベンガル州農村部で起きた土地の再分配を求める農民運動に始まり、のちに学生による都市ゲリラ活動へ変化した。1985年には、当時のインド首相ラジフ・ガンジーが、コルカタは「死にゆく町」だと嘆いたほどだ。 |