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特集

地球にひとつの生命
槍を使って狩りをする
チンパンジー

APRIL 2008


 『狩りをするサル―肉食行動からヒト化を考える』(青土社刊)の著者で霊長類学者のクレイグ・スタンフォードも、プルエの発見には冷ややかだ。「とても興味深い行動ですが、本格的な観察とは言えず、学術誌で小さく取り上げる程度の発見です」と語る。

 とはいえ、米科学誌「カレント・バイオロジー」に掲載されたプルエの報告は、世の注目を大いに集めた。掲載の翌週には、「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」などの米主要紙から、テレビ、ラジオ、科学専門誌まで、300以上のメディアに取り上げられた。霊長類についてのニュースがこれほど大きな話題を呼んだのは、1970年代に英国の霊長類研究者ジェーン・グドールがタンザニアのゴンベ国立公園に暮らすチンパンジーについて、子殺しと共食いの行動を報告した時以来だった。

脳の大型化は環境に適応した結果だった

 今、プルエと私は、チンパンジーたちがねぐらから出てくるのを見ている。大きな雄が片腕で低い枝にぶらさがり、のんびりと体を揺らす。背筋がピンと伸び、ほぼ直立しているように見えるその姿は、驚くほど人間に似ている。雄は枝から手を離して地面に降り立つと、台地の上を歩き、去っていった。私はその光景が、ある事実を象徴しているような気がした。現生する動物のなかでヒトの祖先に最も似ていると考えられているチンパンジーが、文字通り木から降りて、地上での生活を始める。まるで、双眼鏡越しに、人類の起源と進化の過程をコマ送りで見ているかのようだった。

 安全な樹上ではなく地上で生活するチンパンジーは、人間のように体の大きなよそ者を警戒する傾向がある。そこでプルエは、4年の歳月をかけてフォンゴリのチンパンジーを人間の存在に慣らした。霊長類学者たちはこの作業を「人づけ(ハビチュエーション)」と呼ぶ。

 その後2005~2007年の3年間、彼女は夏ごとに群れを観察した。週6日間、夜明けから日没までチンパンジーを追い続ける。想像以上にきつい仕事だ。とにかく暑いし、泥だらけになるし、体力を消耗する。夏の調査期間中に寝泊まりするのは泥壁の小屋だ。穴を掘っただけのトイレは30人の村民と共同で使う。日々の食事はピーナツ・ソースをかけたコメやキビばかり。チンパンジーが普段より遠出して帰りが遅くなると、村に戻るころには夕飯は犬の餌にされてしまっている。チンパンジーを追っていると、村への帰り道はいつも8キロほどだ。戻るのをあきらめて地べたに丸くなって眠ったり、チンパンジーが使わなくなった寝床で仮眠したりする日もある。マラリアには7回かかった。

 それでも、プルエは誰よりもこの仕事に情熱を燃やしている。彼女は今、地面に座って、足や腕にたかろうとするハリナシバチを片手で叩きながら、チンパンジーたちの様子をノートに書きこんでいる。かかとのマメがつぶれたのか、靴下に血がにじんでいる。これほど過酷な状況にあっても、プルエは幸せで満たされているように見える。「まるで夢を見ているような気分です」と、虫刺されの痕をぽりぽりかきながら彼女は言う。その苦労の甲斐あって、調査は目覚ましい成果をあげている。フォンゴリのチンパンジーは、道具を使って狩りをするだけでなく、水たまりに浸かったり、洞窟で午後を過ごしたりすることが新たにわかったのだ。

 フォンゴリのチンパンジーの行動範囲は63平方キロにおよぶ。これまでに「人づけ」が済んで、調査されたチンパンジーのグループのなかでは最も広い。ちなみに、ジェーン・グドールが調査したゴンベのチンパンジーの行動範囲は13平方キロだった。チンパンジーは食物を探す際、でたらめに動き回るのではなく、予測に基づいて考えながら動いていると、プルエとクレイグ・スタンフォードは考えている。広範囲を移動しながら探すことができるのは、スーパーの店内に並ぶ商品の位置や、店のレイアウトを知り尽くしているようなものだと、スタンフォードは言う。「スーパーに来る人は、あてもなく店内をうろつくのではありません。どこにどんな商品があるか、何月にどんな旬の食材が売られているか、ちゃんと把握しています」。チンパンジーも同じだと、彼は考えている。

 ヒトの祖先を含む、一部の霊長類の脳が大きく複雑に進化したのは、厳しい環境に適応して生き延びるためだったとする、生態学的知性という説がある。「質の高い食物を得られる場所が限られていたために、認知地図(頭の中に思い描く地図)を形成する能力が発達し、それが脳の大型化につながったのかもしれない」と、スタンフォードは述べている。質の高い食物とは、つまり肉のことだ。肉のような高カロリーの食物なら栄養価の低い植物ほど大量に食べる必要はないし、消化に費やすエネルギーが減れば、その分を別の目的に使える。大型化した脳の維持ができたのは、肉を食べる量が徐々に増えて余分なエネルギーを使えるようになったからかもしれない。

 そんなことを考えていた矢先、私たちから6メートルほど離れた場所に、ティアという名の雌が姿を見せた。岩に腰かけて、何かの動物の脚肉にかぶりついている。プルエは驚いた様子で目にあてた双眼鏡を下ろし、小さく叫んだ。「驚いたわ! ブッシュバックの脚です」。脚肉から垂れ下がった細長い皮には、白い模様がついていた。ブッシュバックはアンテロープ類の草食動物だ。「今まで私が見たチンパンジーの食物のなかで最も大きな動物です」。おそらく若いブッシュバックだろうと、彼女は言った。ゴンベのチンパンジーも、幼いブッシュバックを捕らえることがあるという。これまで記録されているなかでは最大の獲物だ。

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