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特集

古代の海を制した
南太平洋の民

MARCH 2008

文=ロフ・スミス 写真=スティーブン・アルバレス

古の昔、ただ水平線を目指して未知の海を突き進んだ古代ラピタ人。その知られざる世界が、エファテ島での発見により解き明かされようとしている。

 世界の果てへの冒険が人々を魅了するのは、何よりも未知なるものとの出会いがあるからだ。その点で、1778年にヨーロッパ人として初めてハワイを“発見”したキャプテン・クックには、ある種の同情を禁じ得ない。クックは3度にわたる太平洋遠征で、緑豊かなニュージーランドから不毛のイースター島に至る数々の島を訪れ、最後の航海ではソシエテ諸島から何千キロも北にあるハワイ諸島にも足を伸ばした。そこはタヒチに住むポリネシア人の古老さえも知らない、未踏の地であった。ところがたどり着いてみれば、カヌーで漕ぎ出してきた島民たちは、クックがそれまでに訪ねた島々で耳にした言語であいさつをしてくるではないか。

 太平洋に広がった言語と文化の驚くべき普遍性を目にしたクックは、後日、日誌にこんな疑問を記している。「かくも広大な海洋に版図を広げるこの“国家”を、いかに説明すべきだろうか?」。この疑問とそこから派生する多くの問いは、長い間、人々の興味をかき立ててきた。この素晴らしき航海者たちは一体、何者だったのだろうか。3000年以上も前に大海に漕ぎ出した、彼らのルーツはどこにあるのだろう。新石器時代の人々は航路を導く海図も羅針盤も持たなかった。簡素な造りのカヌーを操るだけで、どうやって、地球の面積の3分の1近くを占める大海に点在する幾百という島々を見つけ、植民することができたのか?

 古代の海洋民族が生きた世界は、長い間謎に包まれてきた。だがここへきて、南太平洋のバヌアツ・エファテ島での驚くべき発見により、その歴史が明らかになりつつある。今日のポリネシア人の遠い祖先は、いかにして未知への第一歩を踏み出そうとしたのか。新たな発見は、彼らがたどった壮大な海の旅の道筋を示してくれるだろう。

 さらに大きな謎が残っている。航海者たちが初めて太平洋の島々へ移住してから、太平洋全域に進出することになる次の航海時代まで1000年以上の空白の時代があった。航海を中断した理由は何だったのか。そして、1000年もの中断の後にどのようにして海を渡り、拡散していったのか。太平洋に息づくサンゴや、南米の高山にある湖底の堆積物から収集された気象データが、この謎を解き明かす鍵を与えてくれるかもしれない。

 バヌアツの首都ポートビラから車で東へ30分。太陽がさんさんと照りつけるエファテ島の、とある丘の上で、マシュー・スプリッグスは逆さにしたバケツに腰かけていた。今しがた掘り出したばかりの陶器のかけらを手にとり、そっと泥をはらっている。「この手の出土品は初めて見る。私に限らず、これまで誰も見たことはないだろう。こいつは独特だ」と言いながら、陶器の表面にほどこされた装飾の精緻な模様を、ほれぼれと見つめた。

 “独特”という形容は、この地に眠っていた多くの出土品に当てはまる。「ここには、太平洋を初めて航海した人々を葬った墓所や、彼ら第一世代とその子どもの世代の遺跡が残っています」。こう話すスプリッグスは、オーストラリア国立大学で考古学を教える傍ら、遺跡発掘チームのリーダーも務める。

 遺跡が発見されたのはまったくの偶然だった。荒れ果てたココナツ農園の表土を重機で掘りかえしている最中に、地中に埋もれていた墓が一つ、姿を現したのだ。それを皮切りに数十の墓が見つかった。墓所は3000年ほど前のもので、太平洋の島々で発見されたなかで最も古い。埋葬されていたのは「ラピタ」と呼ばれる古代人の骨だった。この呼び名は、1950年代に彼らの陶器が発見されたニューカレドニアの海岸の名前にちなんでつけられた。

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