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特集

古代エジプトを支配した
ヌビア人の王たち
ブラックファラオ

FEBRUARY 2008


 シャバカはテーベに次々に新しい建造物を建て、カルナク神殿にはピンク色の花崗岩で自身の彫像を造らせた。この彫像のかぶっている王冠には、二つの国の君主であることを表す、2匹のコブラをかたどった聖蛇ウラエウスがついている。シャバカは、軍事力だけでなく、建築物や彫像によっても、ヌビア人の王がエジプトにとどまり続けることをエジプト全土の人々に知らしめたのである。

 この頃、東方ではアッシリアが急速に覇権を拡大していた。紀元前701年、アッシリアが現在のイスラエルにあたるユダ王国に侵攻するに及んで、ヌビアの軍勢が出陣した。両軍はエルテケで会戦。アッシリアのセンナケリブ王は、「我が軍が敵を木っ端みじんに打ち砕いた」と勇ましく豪語した。だが、当時おそらく20歳前後だったヌビアの若き王子は、この負け戦の中でもどうにか戦死をまぬがれた。

 アッシリア軍はエルテケを出発して、エルサレムを包囲。エルサレムのヒゼキア王は、同盟国であるエジプトが助けにきてくれると期待した。このとき、アッシリアの王がそれをあざ笑って述べた言葉が、旧約聖書の列王記下に記されて、今に伝えられている。「今お前はエジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ。エジプトの王ファラオは自分を頼みとするすべての者にとってそのようになる」

 旧約聖書などの記録によると、その後に奇跡が起きた。アッシリア軍が撤退しはじめたのだ。理由は定かではない。兵士たちが疫病に見舞われたのか、それとも、ヌビアの若き王子がエルサレムに向けて進軍しているとの知らせに恐れをなしたのか。いずれにせよ記録にあるのは、センナケリブが包囲を解いて、逃げるようにアッシリアへと引き返したことだけだ。その18年後に、センナケリブは自分の息子たちに殺されたとされている。

 こうした大きな出来事の中で、オリエント世界の片隅にいた肌の黒い人物のことは、これまで見過ごされがちだった。その人物とは、ヌビアの若き王子、ピイの息子タハルカである。

野心家タハルカの治世

 タハルカは紀元前690年、31歳のときにメンフィスで戴冠し、26年間エジプトとヌビアを支配した。父のピイはエジプトに伝統的な慣行をよみがえらせ、叔父のシャバカはメンフィスとテーベでヌビアの覇権を確立した。だが、この二人の野望も、タハルカの壮大な野望に比べたら、色あせて見える。

 彼の勢力はエジプト全土に及び、敵たちも、その足跡を完全にはかき消せなかった。タハルカの治世に、ナパタからテーベまでナイル川を下って旅した人々は、川岸に次々に現れる荘重な建造物に目を奪われたことだろう。

 タハルカはエジプト全土に、自分の姿や名を刻んだ彫像や石碑を造らせた。それらの多くは今、世界中の博物館にある。だが、彫像のほとんどは、敵に顔を削りとられている。死後によみがえる力を奪うために、鼻をへし折られた彫像も多い。2国の君主の証しを消すため、ひたいにつけた聖蛇ウラエウスも壊された。

 王位に就いて6年目、豪雨でナイル川の水かさが増し、低地が水浸しになったことがあった。だが、村々が流されることはなく、作物は大豊作に恵まれた。後にタハルカが四つの石碑に刻ませた記録によると、洪水のおかげでネズミやヘビまで姿を消したという。どうやらアメン神は、みずからが選んだ王タハルカに特別の寵愛を与えたようだった。

 タハルカは手にした富を眠らせておく気などはなかった。惜しげもなく資金をつぎ込んで、エジプトが版図を拡大した新王国時代(紀元前1500年頃)以来、最も野心的な建築計画を押し進めた。タハルカの関心は当然ながら、二つの聖なる都テーベとナパタに向けられた。

 今日、テーベ近郊のカルナク神殿を訪れると、荘厳な遺跡群の間に、高さ19メートルの柱が1本だけそびえている。アメン神をまつったこの神殿にタハルカが増築させた巨大な柱廊の10本の柱のうち、復元された1本だ。タハルカは、既存の建造物にいっさい手をつけずに、テーベの都を自分のものにしてみせたのだ。

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