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特集

インド壁画芸術に
生きる
神々の肖像

JANUARY 2008


 ベヘルの写真を見たインド考古調査局の長官はうなった。「彼は文字どおり暗闇を征服したと言ってよいでしょう」。ベヘルはその後、アジャンターの写真を書籍にまとめて世界各地で写真展を開いた。彼の作品によって、古代インド美術がそれまで考えられていたよりも幅広く、脈々と受け継がれてきた伝統の一部であることがわかり、新たな研究が始まった。

「かつてアジャンターの壁画は、“一時期のあだ花”とみなされていた」と、ベヘルは言う。壁画自体の芸術的な価値は高いが、インド美術全体の流れとの関連はないという意味である。ところが、ベヘルの写真や映像は、アジャンターの壮麗な美がそれ以前の宗教美術の流れを受け継いだものであり、時間と空間を超越して後世にも多大な影響を与えたことを明らかにしたのだ。

 アジャンターで宗教美術が花開いたのは、それ以前の時代に聖像が発達したからだ。初期仏教では、仏足石(仏陀の足跡を石面に刻んだもの)や菩提樹、空の玉座などによって釈迦を象徴的に表現した。だが信徒たちは、もっと人間の姿に近い帰依の対象を求め、仏像は徐々に理想化された完全な人間の姿をするようになった。インド亜大陸で最初に釈迦の似姿が造られたのは紀元1世紀のことだ。視線を落とした釈迦の穏やかな表情は、やがてアジア全域で造られる仏像の基本形となり、現代の仏像もこの伝統を受け継いでいる。

 アジャンターの石窟寺院が全盛期を迎えた頃、ヒンドゥー教の石造寺院も続々と建立された。その多くが、ヒンドゥー教の主神シヴァやヴィシュヌをまつったもので、神々は力強く表現された。仏教とヒンドゥー教の寺院はともに、流麗な姿や豊かな個性をもつ仏像・神像で埋めつくされ、それぞれの信者たちの間では信仰心が大いに高まった。

 宗教美術が二つの宗教で同時に開花したのは、意外なことではない。仏教もヒンドゥー教も、おおむね紀元前8~4世紀に成立したサンスクリット語の哲学書「ウパニシャッド」に記された思想が根本教義の一つになっているからだ。この聖典では、アートマン(我)と呼ばれる個々の人間の本質と、“究極の実在”である宇宙の根本原理ブラフマン(梵)は同一であると説かれている。このように二つの宗教は、この時代の数百年前から相互に深く結びついていた。実際、アジャンターを含むほとんどの仏教寺院は、ヒンドゥー教を信奉する王の治世下で、その庇護を受けて造営された。

 深遠な美の思想も、二つの宗教に共通している要素だ。美しさ自体には何の価値もなく、シヴァの青銅像や仏画であれども、見る者がそれに感応しないかぎり、それらは単なる銅くずやひからびた顔料にすぎないという。寺院で絵画や彫刻を見る行為を通じて、感応力の高い信者の心は解放され、神や仏を身近に共感することができる。つまり、“見る”ことは神や仏を“信じる”ことなのだ。

 ヒンドゥー教では、美術を通したこの濃密で能動的な美との結びつきをダルシャナ(神を“見る”という意味)と呼ぶ。「ダルシャナとは、単に目をつかう行為ではありません。ダイナミックな意識の活動なのです」と、美術史家のヴィディヤ・デヘージアは解説する。

 私はアジャンターの石窟を訪れた時、自然光による長時間露出で撮影されたベヘルの写真と違って、本物の壁画がぼんやりとしか見えないことに驚いた。私の気持ちを察したのか、ベヘルは落ち着いた声で目の前の壁画について語りはじめた。一人の踊り子を取りまく楽士たち、ブランコに乗った恋する王女、修行者の説法に耳を傾ける2頭のレイヨウ、現世の享楽を捨てて馬に乗り、涙にくれる女たちの横を通り過ぎる若き日の釈迦……。「宮女たちの姿をご覧なさい。愛に満ちた温かみのある表現でしょう?」と、彼はささやくような声で言った。

 このような効果が出せるのは、画家の優れた技術のたまものだ。微妙な光と影の陰影や、表現力にあふれた大胆な筆使い、そして複合的な視点(人物によって違う角度から見た形で描かれている)。この壁画を描いたのは無名の画家たちだ。ヒンドゥー教の神や仏教の菩薩を描くのが得意な、画工集団のメンバーだったのだろう。サンスクリット語で書かれた世界最古の絵画技法書の一つ、チトラスートラ(画経)の教えどおりに絵筆を動かしていた可能性もある。

 チトラスートラは、アジャンターの壁画よりもずっと古い時代に生まれた口承の伝統を集めた書物である。身の清め方や服装まで、画工が行うべき数多くの指針がおさめられ、神仏や物語の脇役、蓮華、自然風景の理想的な描き方についても、具体的に指示されている。

 紀元477年にハリシェーナ王が世を去ると、石窟寺院の造営は突然中断された。修行僧たちの姿も次第に見られなくなり、13世紀末までにインド仏教はほぼ消滅し、イスラム教徒の侵入後は仏教の聖地が破壊された。こうして、アジャンターは忘れ去られ、洞窟にすむコウモリと地元の部族以外は誰も知らない状態が長く続いた。1819年、トラ狩りの途中だったとみられる英国軍人のグループが、偶然、この洞窟と謎めいた壁画を発見した。それ以来、アジャンターの壁画の崇高な美しさは世界を魅了し続け、ベヘルもそのとりことなった。「私は仏陀の顔に浮かぶ表情に心を奪われました。そこにあるのは、慈悲の心そのものです」

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