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インドネシアの
荒ぶる神
火山と生きる

JANUARY 2008

文=アンドルー・マーシャル 写真=ジョン・スタンマイヤー

泥火山の噴出は天災?それとも人災? 泥に埋もれた村

もう逃げるしかなかった。

 深夜、少しずつしみ出していた泥水は、夜が明ける頃には、熱い濁流となって一帯にあふれていた。インドネシア・ジャワ島東部のポロン地区で商店を営むスミトロの家にも、泥は流れ込んだ。スミトロと妻のインダヤニは子供たちを抱きかかえて逃げた。「泥はどんどん流れてくる。家にいたら危ないと思った」

 スミトロの災難を引き起こした犯人は明らかだった。泥火山だ。だが、噴出の原因をめぐり、地元は騒然となった。天然ガスの採掘のせいだと住民たちは主張、ガス会社は地震が引き金だとして防衛線を張った。

 ルシと名づけられたこの泥火山は、2006年5月から大量の熱い流動泥を吐き出し、東京ディズニーランド8個分もの面積を泥でおおってきた。泥の深さは所によっては18メートルにも達し、いくつもの村がその下に埋もれ、1万世帯が家を捨てて避難した。IMF(国際通貨基金)の推定では、これまでの被害総額はインドネシアのGDP(国内総生産)の1%近い37億ドル(4000億円)にのぼる。被災者は天然ガス会社の責任を追及するも、会社側は抵抗している。

 泥流の噴出は今後数十年続く可能性がある。1日10万立方メートルというペースで流出する泥をなんとか封じ込めようと、とりあえずは堰の補強が続けられている。ポロン川に泥を逃がすための導管も設置された。理論上は雨が降れば、泥は海に押し流されるはずだが、川底に泥が堆積し、近くの人口250万人の都市スラバヤで洪水を引き起こすおそれもある。

 人々は迷信にすがった。スマトラ島の民間療法の治療師やバリ島のヒンドゥー教の修行者が現地に乗り込んだ。地元の富豪が、泥を止めた者には家を与えると言い、何人もの祈祷師が名乗りをあげたが、祈りはむなしかった。

「どうやっても泥は止まらない。科学の力も神通力も役に立たない」と、スミトロは悲観的だ。堰に守られていた彼の家周辺では、2006年11月に泥の圧力で地下のパイプラインが爆発、13人が死亡する事故が起きた。その衝撃で堰はもろくなり、スミトロの家の一帯に泥が流れ込んだ。今では泥が干上がった通りに人けはなく、火事場泥棒のような連中が、家々の屋根瓦や電線をはぎとっていった。「もう思い出以外は何も残っていない」と、スミトロは嘆く。

 泥火山を取り巻く政治的な状況も、泥仕合の様相を呈している。問題のガス井を所有するラピンド・ブランタス社は、国家福祉担当調整相のアブリザル・バクリの親族が株式を保有している。大富豪のバクリは、泥の噴出はガス井とは関係がなく、270キロ離れたジョクジャカルタで2日前に起きた地震が原因だと主張した。

 家を失った村人たちが避難した市場には、怒りが渦巻く。「バクリが来たら、こうだ」と、ある男が指で喉を切る仕草をしてみせた。それでも、バクリは今もユドヨノ大統領の後ろ盾を得て、現職に居座っている。次期大統領選で再選をねらう可能性があるユドヨノは、カネも力もある閣僚に辞任を迫るわけにはいかない。

 インドネシア政府は、ラピンド社に4億ドル(約430億円)余りの補償金の支払いを命じた。だが、被災者の手にはなかなか回ってこない。800世帯を代表して交渉に当たっているスミトロは、会社側が支払いを渋っているとみている。  

 ラピンド社はそれを否定。補償金の支払いが遅れているのは、申請者の書類に不備があるためという。会社側はすでに被災者に住居や食料を提供するために何百万ドルもつぎ込んでいて、申請された補償金は2年以内にすべて支払うと約束した。そのうえで、泥流の原因はまだ解明されていないので、ラピンド社に法的な賠償責任はないと主張した。ラピンド社の社員を含む国際調査チームは、バクリの主張通り、地震が原因とする結論を出した。

 しかし、英国ダーラム大学のリチャード・デービーズは、「地震はそれほど大規模ではなかったし、震源も遠すぎる。一方で掘削が今回のような現象を引き起こす有力な証拠がある」と言う。デービーズの調査では、ガス井の掘削と、大量の水とガスの流出を止めようとする試みの二段階で、坑内に亀裂が生じ、泥の噴出を招くというシナリオが裏づけられた。

 昨年、大量のコンクリートで穴を埋める工事が実施されたが、これも効果がなかった。もはや万策尽きた格好だ。「後は全能の神に任せるしかない」と、泥流対策の担当官はジャカルタポスト紙のインタビューで語っている。

 泥火山は依然、泥を吐き出し続けている。豪雨が降れば、堰が崩れ、さらに泥があふれて、今よりもっと多くの人が避難を余儀なくされるかもしれない。被災者の目に、ラピンド社の名が泥にまみれて見えるのは間違いない。

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