/2007年12月号

トップ > マガジン > 2007年12月号 > 広大な記憶の海の秘密をさぐる


定期購読

ナショジオクイズ

Q:現在のEVとはまったく違いますが、電気で走る車はエンジンで駆動する車が登場した頃からありました。その当時、電気で走る自動車を手がけていた自動車工学者といえば誰でしょう?

  • ルイ・シボレー
  • エンツォ・フェラーリ
  • フェルディナント・ポルシェ

答えを見る



特集

広大な記憶の海の
秘密をさぐる

DECEMBER 2007


 A・JとE・Pは人間の記憶の、いわば両極に位置している。この二人のケースは、私たちの自己認識がいかに記憶に支えられているかを教えてくれる。あらゆることを記憶するA・Jと、何も記憶できないE・P。私たちはこの両極のどこか中間に位置しているわけだが、A・Jのように過去のある出来事を鮮やかに思い出すこともあれば、E・Pのように一瞬前のことが思い出せず、愕然としたこともあるだろう。

 私たちの背骨の先端に危なっかしく乗っている重さ1.3キロほどの脳という肉塊は、子供時代のちょっとした出来事を一生覚えていることもできるのに、重要な電話番号を2分と覚えていられないこともある。そう考えると、記憶とはとても奇妙なものだ。

 そもそも記憶とは何なのか。今の段階で神経科学者が言えるのはせいぜい、記憶とはニューロン(神経細胞)の結合パターンとして脳に蓄えられている情報であるということぐらいだ。私たちの脳にはざっと1000億個のニューロンがあり、その一つひとつが、シナプスと呼ばれる結び目を通じて、ほかのニューロンと結ばれている。一個のニューロンが5000~1万のシナプスを形成しているとみられ、成人の脳には平均して500兆~1000兆個のシナプスがあると考えられている。

 それに比べ、米国議会図書館所蔵の活字媒体の情報量は、約32兆バイトにすぎない。私たちが何かを感じたり、考えるたびに、脳内のこの膨大な情報ネットワークの結び目に変化が生じる。シナプスの結合が強化されたり、弱まったり、新たに形成されたりして、脳の物理的構造が変化するのだ。

 ある暖かな春の日、私はサンディエゴ郊外の日当たりのよい平屋に住むE・Pを訪ねた。カリフォルニア大学サンディエゴ校で記憶を研究している神経科学者のラリー・スクワイアと、彼の研究室のコーディネーターで、認知テストを行うためE・Pの元に頻繁に通っているジェン・フラシノが同行した。フラシノはすでに200回くらいE・Pの自宅を訪問しているが、E・Pは毎回、まるで初対面のように彼女を迎える。

 フラシノはダイニングルームのテーブルにE・Pと向かい合って座り、次々に質問をしてE・Pの一般常識をテストした。ブラジルは何大陸にありますか? 1年は何週間? 水が沸騰する温度は? ――こうした質問で確認できるのは、IQテストですでにわかっていること。E・Pはまともな知能の持ち主であるということだ。彼はちょっと面食らったような顔をしながら、フラシノの質問に辛抱強く答え、全問正解する。

 「封をし、住所が書かれ、切手を貼った封筒が道に落ちているのを見つけたら、どうしますか」と、フラシノが聞いた。

 「そりゃあ、ポストに投函するね。それが常識でしょう?」。E・Pは苦笑して、私のほうにちらっと目をやって、「まったく、この連中は、私が何も知らんと思っているのだろうかね」とでも言いたげな顔をしてみせた。

 だが、場の雰囲気を読み取って、ここはひとつ礼儀が肝心だと思ったのか、フラシノのほうに向き直ると、こう付け加えた。「それにしても、面白い質問をなさいますな。いや、実に面白い」。これまでにも何度も同じ質問をされているのだが、本人はすっかり忘れている。

 E・Pは左手にブレスレットをしている。迷子になった場合に備えて、病名や連絡先を刻印したものと一目でわかったが、私はあえて彼に聞いてみた。「そのブレスレットは?」。彼は手首に目を落とし、そこに刻まれた文字を読んだ。

 「ふーむ、記憶喪失と書いてありますな」

 E・Pは自分が記憶障害であることも記憶できない。彼にとって、自分の障害は、毎回新たに発見することなのだ。絶えず忘れるという事実すら忘れるので、ついさっきまで考えていたことを忘れても、私たちがうっかり物忘れをした時のように、「あれ、何だっけ」と思う程度で、次の瞬間にはそう思ったことすら忘れてしまう。

 記憶を失ってから、E・Pは“今この瞬間”だけを生きている。今この場にいる人間、今この場で交わされる会話がすべて。いわばスポットライトに照らされた小さな円の中にいて、周りを真っ暗な闇に取り囲まれているようなものだ。

Back2next


ナショナル ジオグラフィック バックナンバー