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特集

マラッカ海峡
の海賊たち

OCTOBER 2007



海の略奪者

 話をアリフィンに戻そう。彼は現在、懲役7年の刑で服役中だ。私は防弾の窓で仕切られた面会室で、アリフィンと対面した。彼は身長150センチほどの小柄な男で、開襟シャツの下のたるんだ胸には、色あせたハート型の入れ墨が見える。海賊というよりくたびれたスリといった風情だ。顔には、なぜ私のような外国人が面会を申しこんできたのかといぶかる表情を浮かべている。

 私の通訳は受話器を手に取り、アリフィンと窓ごしに話しはじめた。私は、事件について知り、話を聞くためにはるばる米国から来たことを説明した。なぜ海賊になったのか、たった10人でどうやってネプリン・デリマ号ほどのタンカーを乗っ取れたのかを聞かせてほしい、と私は言った。

 アリフィンは受話器を耳に押しつけ、無言で通訳と私の顔を交互に見ると、ようやく口を開いた。「弁護士に全財産を持っていかれた。石けんもない。ここに来てから歯も磨いてない」

 看守を通じて洗面用具を提供すると申し出ると、彼の表情が少し明るくなった。そしてアリフィンは、少しずつ話しはじめた。すべてが真実かどうかは別として。

 アリフィンによれば、タンカーの襲撃計画が持ちあがったのはバタムの「喫茶店」でだった。ルクマンというインドネシア人の船乗りが、マレーシア人の船会社の重役から、タンカーを乗っ取るために人を集めてくれと持ちかけられたのだ。当時ルクマンは職探しに苦労していて、同じ境遇にあったアリフィンを襲撃に加わらないかと誘った。10代で船乗りになったアリフィンは、やがて修理工になり、ルクマンとは何度か一緒に船に乗ったことがあった。タンカーの乗組員にも協力者がいるから仕事は簡単に終わる、とルクマンは請けあった。

 アリフィンは計画にのることにした。「やることは、タンカーに乗りこんで乗組員を縛りあげ、船を公海に出すだけのはずだった」と彼は言う。公海上でタイから来た仲間のタンカーと落ち合い、燃料を移して、ネプリン・デリマ号を乗り捨てるという筋書きだ。タンカーの機関室を受けもってくれれば1万ドル(約120万円)払うとルクマンは約束した。

 出だしは順調だった。アリフィンとルクマン、そしてバタム島出身の船乗り2人の計4人は、まず観光客を装ってフェリーでマレーシアの港ペナンへ向かった。そこで、ルクマンがスマトラ島北部のアチェ州で雇った男6人と合流した。アリフィンは言う。「そいつらは船乗りじゃなかった。腕っぷしさえ強ければよかったんだ」

 10人は近くの海岸で高速モーターボートを盗み、ガソリン、水、食料、携帯電話2台、GPS(全地球測位システム)、パランと呼ばれる鉈5本を積みこんだ。そのほかに、目出し帽、着替え、現金、パスポートを各人が用意した。深夜12時過ぎ、モーターボートをそっと海峡に出した。協力者であるタンカーの乗組員からは、タンカーの現在位置や航路、速度などが携帯メールで送られてくる。特に重要なのは「いつ彼が見張りにつくかだった」とアリフィンは言う。

 数時間後、海賊たちは目出し帽をかぶり、パランを振り回しながらネプリン・デリマ号に乗りこんで、船の司令塔である船橋を占拠した。SOS信号を無効にし、17人の乗組員のうち16人を目隠しして手足を縛り、船室の床に転がして閉じこめた。そして、公海にいるはずのタイのタンカーに向けて進路を変更した。うまくいけば、翌日の夜にはバタム島に戻り、ドラッグをやったり女を買ったりして快楽にふけるはずだった。あるいはアリフィンの言うことが本当なら、家族の待つ家へ帰るはずだった。

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