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特集

スプートニクから50年
宇宙開発 次の一手

OCTOBER 2007

文=ガイ・グリオッタ

界初の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げから50年。躍進した宇宙開発の次の一手は、有人飛行か、無人探査か。新シリーズ「宇宙」の第1弾。

 宇宙時代が幕を開けたのは、今から50年前、1957年10月4日の寒い晩のことだった。カザフスタンの砂漠にある旧ソビエト連邦の基地から、重さ83.6キロのアルミニウム製の球体がR-7ロケットによって打ち上げられた。この球体「スプートニク1号」は、地球の軌道を周回しながら信号を送ることに成功、世界で初めての人工衛星となった。

 史上最大といえる探査と発見の時代は、こうして始まった。ほどなく人類は有人飛行に成功し、宇宙遊泳にも成功したかと思うと、ついには月面着陸をも成し遂げてしまう。

 だが、スプートニクの打ち上げからわずか15年後の1972年12月、宇宙船アポロ17号の月面活動を最後に、華々しかった宇宙への歩みは一気に色あせる。

 1981年のデビュー時には驚異の技術と目されたスペースシャトルは、高価で壊れやすく、危険な代物であることが証明された。しかも、そのフライトといえば高度2000キロに満たない「低軌道」を回るばかり。いまや「目標のない宇宙飛行の繰り返し」になってしまった。2003年には、コロンビア号が大気圏に再突入する際に空中分解し、7人の宇宙飛行士全員が死亡する事故が発生。事故調査の担当者たちは、無目的な有人宇宙計画を激しく糾弾した。

 これを受けて2004年、米国のブッシュ大統領は新たな宇宙政策をうち出した。2020年までに宇宙飛行士を再び月に送り、最終的には火星に到達させるというものだ。米国は新たなロケットを発注し、新型の宇宙船を建造し、月面基地の計画を練りつつある。そして逆風を受けながらも、宇宙時代初期のような緊迫感と冒険心を再び盛り上げようとしている--。

 50年前にスプートニク1号を打ち上げたR-7ロケットは、ソ連の誇る最先端技術の結晶であり、西側に対する大いなる挑戦でもあった。伝説的なロケット設計者、セルゲイ・コロリョフに率いられたソ連の科学者たちは、米国本土まで核兵器を飛ばせるロケットを開発し、同時に宇宙への道も切り開いたのだ。

 ひと月後、ソ連は重さ508キロ(スプートニク1号の約6倍)のスプートニク2号に、1頭の犬を乗せた。ライカ犬と呼ばれたこの犬は、高温になった宇宙船の中で数時間しか生きられなかったが、ソ連の目的は達成された。犬を軌道に乗せられるなら、人間だって乗せられる。

 続く数年のあいだ、米ソ両国は目覚ましい技術革新を成し遂げるが、その前に立ちはだかったのが、永遠に変わることのない物理の法則だった。ある物体を地球の低軌道に乗せるには、打ち上げで時速2万7000~2万9000キロに加速することが必要で、さらに地球の重力を完全に振りきり、その外側へ飛び出すには、時速4万キロまで加速しなければならない。

 そのうえ、打ち上げる物体が重くなるほど、強力なロケットが必要となる。この点に関しては当初、R-7ロケットを持つソ連が大きくリードしていた。スプートニク1号の4カ月後に、米国が初めて軌道に到達させた人工衛星エクスプローラー1号は、重さ14キロ。ソ連は同じ年に、重さ1300キロを超えるスプートニク3号の打ち上げに成功するのだ。

 その後、激しく競争する米ソは、次々に偉業を達成し、英雄を生みだしていく。1961年には27歳だったソ連の宇宙飛行士、ユーリ・ガガーリンが人類として初めて宇宙空間に飛び出し、地球を1周した後で、パラシュートで農場へ降りたった。翌年にはジョン・グレンが米国人として初めて地球を周回する。

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