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特集

ベスビオ火山の
不気味な動静

OCTOBER 2007

文=スティーブン・S・ホール 写真=ロバート・クラーク

タリア・ナポリ近郊にそびえるベスビオ火山。紀元79年の噴火でポンペイの町を破壊したこの火山は、いま、次の噴火が近いとささやかれている。

 イタリア南部のカンパニア平原に轟音がとどろき、やがてベスビオ火山から噴出した火の玉のような岩石が空から降ってきた。男と女は急いで村を出て、東の方角に走りだした。なだらかな坂をのぼって、森へ逃げこもうというのだ。女は20歳前後、男は40代なかば。だが、真っ赤に焼け、頭皮を焼くほど熱い岩石が、骨をも砕く勢いで降りそそぐ。とつぜん天から降ってきた災難に、二人は訳もわからないまま、この世の終わりがきたと思ったことだろう。

 このとき、この二人のほかにもおびただしい数の人々が逃げまどっていた。柔らかい火山灰や泥に刻まれた絶望の足跡は、数千年ものあいだ、誰にも知られないまま残された。だが、北あるいは北西に逃げる足跡を残した人々は、生きのびたはずだ。この若い女と中年の男のように、東のアヴェリーノをめざす足跡を残した人々は、死を免れなかった。運悪く、そこは火山の噴出物がいちばん多く積もったところで、地面に落ちた軽石はたちまち1メートルの厚さに達したのだ。

 神々の怒りにふれたように、焼けつく石つぶてを浴び、次第に深まる暗闇のなか、走りまわって疲れきった二人はもう息もたえだえだった。二人は夫婦ではなかったかもしれないが、絶望で固く結ばれている。だが、その歩みはしだいに遅くなっていった。

「二人は1メートル先も見通せなかったはずです」。そう語るのは、ナポリにあるベスビオ火山観測所の火山学者ジュゼッペ・マストロロレンツォだ。いま彼は、ナポリ大学付属人類学博物館の明るい小部屋に立っている。彼がのぞきこんでいる展示ケースには、一面に軽石が敷きつめられた上に、若い女性の骨格が横たわっている。骨は保存が行きとどき、発掘されたままの状態が保たれている。

「ポンペイとヘルクラネウムを埋めつくした噴火では、一瞬のうちに死が訪れました。人々は何が起こったのかもわからなかったはずです」。そう解説するのは、女性の骨を発掘して調べた人類学者ピエル・パオロ・ペトローネだ。

「ただこの女性は、気の毒なことに、即死ではありませんでした」。この男女は、両腕をあげて顔を隠した姿勢で発見されたのだ。むだと知りつつもわが身を守ろうとした最後の試みだ。恐怖に満ちたこのポーズのまま、二人の姿は永遠のものになった。

 男女の骨が発見されたのは1995年12月のことだった。ベスビオ火山から北東に16キロほどのところにある、サン・パオロ・ベル・シトという小さな町の郊外で、天然ガスパイプラインの試験掘削の現場から出土した。ハシバミの木の根元に埋まっていた人骨は女性のもので、その近くから男性の骨も見つかった。

 発見当時、ナポリ周辺の小さな町々では、なりをひそめていたマフィアの残忍な犯罪がふたたび頻発していた。そのため人骨を見つけた作業員は、人類学者と警察のどちらに連絡すべきなのか迷うことが多かった。

 ただし、この場合は違った。人骨はあきらかに古いもので、あとは火山学者に岩石層の時代を調べさせ、正確な死亡時期を特定するだけだった。ペトローネとマストロロレンツォに人骨発見の知らせが伝えられ、調査が始まった。

 ペトローネは大急ぎで現場に向かった。なにしろ骨を取り出すのに当局が許可してくれた時間は、たったの2日間、それも午後だけだったのだ。「骨を救いだせたのはほとんど奇跡でした」と、ペトローネは語る。

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