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特集

湿地に眠る
不思議なミイラ

SEPTEMBER 2007

文=カレン・E・ラング 写真=ロバート・クラーク

欧の泥炭湿地からしばしば出土する不思議な「湿地遺体」。黒光りするこの不思議なミイラは、これまでに数百体発見され、鉄器時代の北欧で行われていた謎めいた生け贄の儀式を今に伝えている。

 その男の遺体は、2003年のある冬の日、アイルランドの土の中から掘り出された。男の髪は生前に整えた形を保っていた。後頭部は短く刈りあげ、頭頂部の髪を20センチほど伸ばして鳥のとさかのように盛りあげ、松脂で固めてあったのだ。だがそれは、この不思議な遺体にまつわる謎のほんの始まりに過ぎなかった。

 男の遺体が見つかったのは、泥炭の加工場にある巨大なふるいの中だった。全裸で頭部がひどく左にねじれ、両足と両腕の前腕部が失われていた。クローニーカバンという小さな町の湿地から泥炭とともに掘り出された際に、掘削機械が引きちぎったのだ。

 頭部と胴体には暴行を加えられた跡が残っていた。何者かに深手を負わされた後で、湿地に放りこまれたのだろう。鼻はひどくつぶされ、頭骨は砕かれ、腹部は刃物で切り裂かれていた。湿地に横たわっている間に、水分をたっぷりと含んだミズゴケの重さで頭部は平たく押しつぶされ、タンニンを含んだ黒い水が皮膚をなめし、毛髪は赤茶色に染まっていた。

 遺体の調査に呼び出されたのは、刑事ではなく、考古学者だった。通常の殺人事件の被害者ではなかったからだ。「クローニーカバン人」と名づけられたこの男は「湿地遺体」と呼ばれる珍しいミイラだ。酸素が乏しい湿地の中で、ミズゴケから生成される抗菌物質で自然に防腐処理されてミイラ化した。紀元前後の数百年間、鉄器時代の北欧で行われていた謎めいた儀式を今に伝えている。これまでに数百体がデンマークをはじめとして、アイルランド、英国、ドイツ、オランダの湿地から発見された。

 湿地遺体の存在が広く知られるようになったのは、19世紀末のことだ。それ以来、様々な説が提示されてきた。現在では、X線CT(コンピューター断層撮影)装置や三次元画像処理、放射性炭素年代測定法といった最新技術で、湿地遺体や同時に出土したごく少数の遺物の分析が行われるようになった。

 鉄器時代のヨーロッパ人は信仰や慣習に関する文字の記録を残していないため、ほかに調査方法はほとんどないのが実情だ。それを考えれば、過去の湿地遺体の研究がひどい誤解の連続だったのも不思議ではない。

 数十年前、無文字時代のゲルマン社会の史料に当たろうとすると、研究者たちは紀元1世紀のローマの歴史家タキトゥスの著作に頼るしかなかった。だが、ライン川以北の習俗に関する彼の記述は、また聞きを重ねたものだった。タキトゥスは、ゲルマン人が同性愛者や臆病者を殺し、遺体を杭に固定して湿地に沈めたと主張したが、それは彼が退廃的と考えていたローマ人の行為をやめさせるためだった。

 タキトゥスの著作の影響で、多くの湿地遺体は、不名誉な行為の罰として拷問を受けた末に処刑され、鉄器時代のヨーロッパで一般的だった火葬をされず、湿地に埋められたと解釈された。たとえばドイツ北部で1952年に発見された「ヴィンデビーの少女」は、密通の罪を犯した女性の遺体だと考えられた。タキトゥスの著作に、密通したゲルマン女性は髪の毛を剃られたという記述があったからだ。その後この女性は目隠しされ、湿地に沈められたのだろうと研究者は考えた。近くで見つかったもう一つの遺体は女性の愛人とみなされた。

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