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特集

シリーズ「地球の悲鳴」
ニューオーリンズ
未来を模索する街

SEPTEMBER 2007


忘れ去られた過去の教訓

 カトリーナが大きな悲劇を生んだ背景には、過去の苦い経験から学んだはずの教訓が、忘れ去られていたことがある。1927年のミシシッピ大洪水では、川沿いの全域が壊滅的な被害を受け、ニューオーリンズの堤防も危うく決壊するところだった。

 この洪水の後、当時、人口が増えつつあったニューオーリンズでは、防災対策の強化を求める声が高まった。その後の数十年で、連邦政府はミシシッピ川沿いと都市部の周辺に堤防と放水路の大規模なネットワークを築き上げた。また、ミシシッピ川最長の支流であるミズーリ川に巨大ダムをいくつも新しく建設し、はるかサウスダコタ州にまで水を貯えた。これら一連の洪水対策は、人間の技術力が自然を制した好例とまで言われた。

 しかし、「氾濫原管理の父」と呼ばれるギルバート・F・ホワイトが導き出した結論は、大きく異なるものだった。当時、シカゴ大学の若き地理学者だったホワイトは、1927年の大洪水の後にデルタ地帯を調査し、被害のほとんどは防げたのではないかと考えた。そして、1942年にこう記した。「洪水は“天災”だが、洪水による被害の大部分は“人災”である」

 ダム、堤防などの洪水対策として造られた施設は、洪水による被害をむしろ大きくするおそれがあると、ホワイトと共同研究者たちは論じている。堤防やダムができると氾濫原の開発が促進され、こうした人工の“防壁”が決壊したときの被害が甚大になるからだ。このことは、後年、カトリーナの来襲時に人々が身をもって体験することになった。

 ホワイトらの指摘にもかかわらず、ニューオーリンズにはその後も堤防が増えていった。1965年にハリケーン「ベッツィ」に襲われた後、米国陸軍工兵隊はニューオーリンズを守るために、全長200キロに及ぶ堤防と水門を建設する事業に着手した。ホワイトの助言は踏みにじられた格好だが、都市計画家と開発業者は大喜びした。街の周囲にあった既存の堤防を強化するほか、広範囲にわたって新しい堤防が建設され、未開発の広大な湿地を取り囲んだ。

 実のところ、事業が将来もたらす利益として工兵隊が政府に提出した額の8割近くは、事業後の湿地開発にかかわる業者の利益を見積もったものだった。10年もたたないうちに、ジェファーソン郡(現在のメタリーとケナー)には4万7000戸の住宅が新築され、オーリンズ郡では、ニューオーリンズ・イーストを中心に2万9000戸が新たに建てられた。

「もとから開発目当ての計画なんですよ」と言うのは地元ニューオーリンズのテュレーン大学で環境法を専門とするオリバー・ホック教授だ。「ニューオーリンズ・イーストのまわりに堤防ができたおかげで、開発業者は大儲けして笑いが止まらなかったんです」

かさむ費用、不完全な工事

 事業は最初から、技術的な問題や訴訟、政治家の介入に振り回された。当初は総予算8500万ドル(約102億円)、13年間で完了するはずだった事業は、7億4000万ドル(約888億円)の途方もない大事業にふくらんだ。カトリーナに襲われたとき、工期はまだ10年も残っていた。

 専門家は早くから、一連の洪水対策事業の重大な欠陥について警告していた。1984年、米国気象局の高潮の予報士ウィルソン・シェファーは、技術者が堤防を設計するときに基準として想定したハリケーンの規模が小さすぎると工兵隊に伝えた。ベッツィの4年後にミシシッピを襲ったカテゴリー5(最大風速70メートル以上)の「カミール」のような巨大ハリケーンが来襲すれば、こんな堤防などひとたまりもない、とシェファーは言う。

 「巨大なハリケーンに襲われたら、浸水を免れる高台はニューオーリンズ周辺に一つもない」と彼は書いている。「数十キロ先まで行かないと安全な高台にはたどり着けない。避難路は限られている……甚大な人的・物的被害が出ることは免れない」

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