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特集

シリーズ「地球の悲鳴」
最後の温帯雨林
再生の行方

AUGUST 2007


相次ぐパルプ工場の閉鎖

1968年、林野局はU.S.プライウッド・チャンピオン・ペーパーズ社に対して、アドミラルティ島でパルプ用の木材を伐り出す権利を与えた。面積約40万ヘクタールの島には、250ヘクタール当たり1頭のハイイログマが生息している。先住民トリンギットの間では、古くから“クーツヌーウー”(クマの砦)と呼ばれるほどだ。その後、伐採に反対する声が強まり、10年後の1978年にアドミラルティ島が国立記念物区域に指定され、開発が規制されることになった。

 また、1971年には「アラスカ先住民権益措置法」が成立。州内各地の先住民団体に、連邦政府の保有地の分割譲渡が認められた。アラスカ南東部では、こうした土地の合計が20万ヘクタール以上にのぼる。先住民の村や団体は、森林経済学者の助言に従って、生産性が高い巨木の森を所有地に選んだ。そして大がかりな伐採に着手し、原木をアジア市場に販売したのだ。この伐採は、パルプ工場の木材消費量に匹敵するほどの規模だった。

 続いて1980年に「アラスカ国土保護法」が制定され、自然公園や原野自然保護区など約42万ヘクタールの環境保護地域が、アラスカ州全域にわたって指定された。だが、アラスカ州議会の代表団の交換条件に基づき、同法はトンガスのパルプ工場に製品にして最低100万立方メートルの木材供給と、年間4000万ドルの補助金を約束。補助金の主な用途は、木材を伐り出すための林道の整備だった。

 アラスカ以外の州に住む米国民は、温帯雨林が破壊されるペースの速さに危機感を強め、そのために自分たちの税金が使われることに対して不満を募らせた。

 トンガスの森の生態系が破壊され、他の国有林よりもはるかに多額の資金が伐採事業に投入される一方、アラスカ南東部では観光産業が急成長し、他の産業と並んで州の経済を支えるようになった。観光の目玉は、美しい自然と、たくましい野生動物の姿だった。そこで1990年、連邦議会は「トンガス木材改革法」を制定し、木材の委託供給と補助金を撤廃。3年後、シトカのパルプ工場は閉鎖され、1997年にはケチカンの工場も操業を停止した。

 プリンス・オブ・ウェールズ島では、トンガスで最大規模の林道建設と伐採が行われていた。かつて伐採作業に従事し、パルプ工場でも働いていたボブ・ウィンドマイヤーは、静かなコフマン・コーブ村の景色を眺めながら言った。彼は「私も妻も、あと5年は、ケチカンのパルプ工場で働き、それから老後の暮らしに入るつもりでした。しかし、すべての木を守り、パルプ工場を閉鎖するという決定が下され、ここでもケチカンでも、住民みなが困窮しはじめています」

 失業したのは環境保護活動家や木材改革法が原因だと非難する住民もいる一方で、別の見方もあった。パルプ工場の閉鎖は、日本の深刻な不況とパルプの国際的な販売不振の影響を受け、さらには、アラスカより木の成長が早く、生産コストが安い国々との競争で追いつめられた結果だというのだ。また、ケチカンのパルプ工場は、深刻な大気汚染と水質汚染に科せられる負担金の問題にも直面していた。

 「保護」か「開発」か。トンガスをめぐる対立と論争は、その後も続いた。1999年、米国全土の未開発の国有林が、商業伐採の対象から除外されることになった。2001年には、退任間近のビル・クリントン大統領が、トンガスの約4万ヘクタールの森を伐採許可の除外対象に含める決定を下した。この除外措置は、道路のない原生林の開発を規制することから“ロードレス・ルール”と呼ばれている。だが、後任のジョージ・W・ブッシュ大統領はこの規定を覆し、伐採を禁止するかどうかは個々の州政府の判断に任せることにした。この決定に対しては訴訟が相次ぎ、連邦裁判所は2006年、未開発地の生物資源保護を撤回したブッシュ政権の措置を不当とする判決を下した。

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