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特集

新説 マヤ文明
その繁栄と崩壊

AUGUST 2007

文=ガイ・グリオッタ 写真=ケネス・ギャレット、サイモン・ノーフォーク 画=バニア・ゾーラウリオフ

カタン半島に広がる熱帯雨林や、メキシコ南部やグアテマラの高地に花開いたマヤ文明。壮麗な都市遺跡をもつこの文明は起源を3000年前の先古典期までさかのぼり、古典期と呼ばれる西暦250~900年に最盛期を迎えたが、その後は衰退の一途をたどった。この特集では3部構成で、古典期マヤの栄枯盛衰のドラマを再現していく。第1部では、最新の研究成果をもとに古典期マヤの興隆を描く。古典期マヤは、メキシコ中部から有力な武将がやってきた時期を境に興隆に向かい、パレンケのパカル王の翡翠の仮面のような傑作を生んだ。第3部では、密林にそびえるマヤの神殿の偉容を写真でつづる。しかし、権勢を誇った王国もいつかは滅びる。第3部では、天災や人災に相次いで見舞われ、密林に出現した偉大な都市文明が再び森に埋もれていくさまを描いていく。

古典期の興隆

その男がやってきたのは、乾期に入って密林の道が固まり、軍勢が通れるようになってからだった。男は戦士たちを従えてマヤの都市ワカに入城し、神殿や市場の前を通過して、広場を堂々と横切っていった。ワカの人々は、侵攻軍の誇示する武力に驚き、はるかかなた西方の都市国家の王権を象徴する華麗な羽の頭飾りや槍、鏡張りの盾に、目を見張ったにちがいない。

 古代の碑文によると、現在のグアテマラにあった都市ワカに男が到着したのは西暦378年1月8日のことで、男は「火の誕生」を意味するシヤフ・カックと呼ばれていた。現在のメキシコ市近くにあった強大な都市国家テオティワカンから派遣されたと考えられているシヤフ・カックの名は、その後の数十年間、マヤ地域各地で石碑に刻まれた。この男の登場をきっかけにマヤ文明は急速に発展し、その後500年にわたる黄金時代を謳歌した。

 マヤ文明は長い間、謎に包まれてきた。数十年前まで研究者たちは、壮大な都市遺跡や美しい未解読の文字から、マヤは神官と書記が治める平和な国だったと考えていた。だが、マヤ文字の解読が進むと、王朝間の戦いや宮廷内の権力闘争、宮殿の焼き討ちといった血なまぐさい歴史が浮かびあがってきた。

 それでも依然として、マヤ文明が繁栄し続けた究極の理由は何かという点は大きな謎として残った。シヤフ・カックがその勇名を馳せたころ、マヤ地域全体に大きな変化の波が広がった。それまで外部との結びつきが薄かった各地の都市国家が、この時期を境に盛んに交流するようになり、高度な文化や芸術を残したのだ。

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