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リンネ
植物にかけた情熱の人

JUNE 2007


 1732年春、25歳の誕生日を迎える直前に、リンネはスウェーデン北部の荒涼としたラップランド地方へ調査旅行に出かけた。リンネの関心はあらゆる分野におよんだが、なかでも植物には特別の興味を寄せた。旅行日誌にはラフなスケッチだけでなく、植物への愛情を感じさせる繊細で緻密な絵もある。この調査で収集した植物のデータは後に『ラップランド植物誌』という書物にまとめられた。

 1735年、リンネは学者としてのキャリアを積むために、オランダを中心に3年間、欧州大陸に滞在した。オランダに着いて数週間で医学博士号を取得すると、すぐに植物の研究に没頭するようになった。

 当時、医学と植物学は密接な関係にあった。この時代の植物学は薬草として利用できる植物を研究する本草学が主流で、医学の一分野とみなされていたからだ。リンネはオランダ東インド会社総督で富裕な銀行家のジョージ・クリフォードに雇われ、クリフォードの別荘で庭園の管理人兼住み込み医師として働きはじめた。リンネは、クリフォードの植物コレクションをまとめ、ゲオルグ・ディオニスス・エーレットという若い画家のすばらしい絵を添えて『クリフォード植物園誌』として出版した。この二人は生涯の友になったが、エーレットは後年、当時のリンネは自信家のご都合主義者だったと告白している。

 確かにリンネは尊大なまでに自信たっぷりな男だったが、それを補ってあまりある魅力の持ち主だったので、多くの友人を作り、後援者を見つけ、強力なコネを手に入れた。3年間の国外滞在中、リンネは8冊もの書物を発表した。スウェーデンを出国する際に、以前から書きためていた原稿をいくつか持ちだしていたからでもあるが、驚くべき多作ぶりだ。その一つが、今では近代分類学の出発点とみなされている『自然の体系』だ。

分類で世界観を示した『自然の体系』

 自然界のさまざまな存在を収集して命名し、体系化を試みた博物学者は、リンネが最初ではなかった。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、動物を「無血動物」と「有血動物」に分類した。16世紀のドイツの植物学者レオンハルト・フックスは、500種類の植物をアルファベット順に並べて解説した。英国のジョン・レイは、1686年に発表した『植物誌』で「種」という概念の確立に貢献した。レイと同時代に活躍したフランスの植物学者ジョゼフ・ピトン・ド・トゥルヌフォールは、花や実といった部位の形を基準にして、世界の植物を700あまりの種類に分類した。

 リンネはこうした伝統から出発し、その伝統を越えていった。1735年に刊行された『自然の体系』は他に類を見ない特異な書物で、二つ折りにされたページが十数ページ続く大型本だった。リンネはその中で、自然界を構成すると考えていた三つの世界、植物界、動物界、鉱物界に存在するすべてのものを分類する方法を概説している。

 動物界は、一つの見開きページを六列に分けて分かりやすくまとめた。それぞれの列の先頭に記された「綱」が大分類で、四肢類、鳥類、両生類、魚類、昆虫類、蠕虫類の六つがある。そのうち四肢類は、現在の霊長類を中心とする人型類、イヌ類やネコ類、クマ類を含む野獣類などを、綱の下位に当たるいくつかの「目」に分類した。また、両生類の綱には、現在の両生類と爬虫類の両方が含まれ、蠕虫類の綱は現在の蠕虫やヒル、吸虫に加えてナメクジ、ナマコ、ヒトデ、フジツボやその他の海生動物も含む雑多な分類だった。さらにリンネは「目」の下に「属」という分類をつくり、ライオン(Leo)、クマ(Ursu)、カバ(Hippopotamus)、ヒト(Homo)など現在でも学名としてなじみのある名前を付け、それぞれをさらに「種」に分けた。

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